2025年世界選手権の代表を決める明治杯全日本選抜選手権の男子グレコローマン63kg級で、“番狂わせ”が起こった。4月のU20全日本選手権で優勝してはいるが、全日本レベルでは「期待のホープ」の位置づけだった中村真翔(まなと=育英大)が、昨年チャンピオンの鈴木絢大(レスター)を、1分53秒、テクニカルスペリオリティで撃破。全日本王者(三谷剛大)が引退で不参加だったので、プレーオフなしで世界選手権出場を決めた。
中村は「監督から『決勝なんだし、思い切ってレスリングをやれ』と言われました。その通りにやって自分のいいところが出たので、素直にうれしです」と無欲の勝利を強調した。
実績では、鈴木が60kg級時代にアジア大会2位、63kg級に上げて昨年のアジア選手権2位などがあって、はるかに上。「合宿で練習したときは、全然歯が立たなかった」と言うから、実績だけではなく、肌で実力差を感じていた。失うものは何もない、という気持ちがあったことは確かだろう。
飛躍の兆候はあった。昨年12月の全日本選手権のときには、優勝した大学の先輩の三谷と初戦で対戦し、2-3の惜敗。敗者復活戦を勝ち上がって臨んだ3位決定戦では、国民スポーツ大会67kg級優勝の成國大志(当時MTX GOLDKIDS)にテクニカルスペリオリティ勝ちと、結果を残していた。
今回の闘いは、中村が鈴木を徹底的に研究していることが感じ取れた。鈴木の繰り出す投げ技を常にに予想していかたのような動きを展開。その攻防は、2023年世界選手権60kg級決勝で、ジョルマン・シャルシェンベコフ(キルギス)が文田健一郎の技をことごとく読み切って勝ちにつなげた試合を彷彿(ほうふつ)させた。
シャルシェンベコフは11-6で文田を撃破。研究しつつも6点を失ったのは、文田の実力だろう。中村は失点を2点に抑えてのテクニカルスペリオリティ勝ち。鈴木の技をほぼ読み切り、鈴木が反撃に転ずる前に10点差をつけた。ポイントを先行された鈴木の動きに焦りが感じられたのは確かだが、全日本選手権の3位決定戦でも爆発した投げ技があればこその大量得点。この研究力&対応力と必殺技があれば、世界選手権での飛躍も期待できる。
父・中村吉元さんは“不運の全日本チャンピオン”だった。三重・鳥羽高時代に全国高校生グレコローマン選手権で優勝し、日体大へ進んで1993~95年に48kg級の全日本大学グレローマン選手権を制覇。輝かしい成績を残し、4年生のときの1995年全日本選手権で初優勝(当時のグレコローマンで学生の全日本王者は極めて希だった)。これから世界へ飛躍する、というときの1996年10月、階級削減による区分変更があって翌年から最軽量級が54kg級に引き上げられることになった。
軽量級での6kg差は大きい。1996年アトランタ・オリンピック48kg級で優勝した沈灌虎(韓国)が2000年シドニー大会54kg級で優勝してはいるが、身長は157cmの選手だった。中村さんは153cm。体格のハンディは大きかった。54kg級で1997年全日本選手権2位、翌年3位と意地を見せたものの、世界選手権もオリンピックも出場することなく選手生活を終えた。
その後、故郷で鳥羽ジュニア・レスリング・クラブをつくり、そこで育ったのが中村。父のことを聞かれると、「ずっと教えてもらいました。父の出られなかった世界選手権に出られるのは恩返しになるかな、と思います」と目を潤ませた。かなえられなかった夢を託されたり、プレッシャーをかけられたりしたことはなかったそうだが、「自分の見ることのできなかった景色を見てほしい、ということは、よく言っていました」とのこと。
国際大会は、今年2月の「ペトコ・シラコフ-イワン・イリエフ国際大会」(ブルガリア)で経験済み(2位)。世界選手権の約3週間前にはU20世界選手権(ブルガリア)があり、ハードスケジュールになるが、「力試しをして世界選手権に臨みます」と言う。
父が見ることのできなかった世界選手権の舞台。父の願いはもちろんだが、本人の願いも「表彰台からの景色、そして日の丸を見つめる」であることは、言うまでもないだろう。