(文・撮影=布施鋼治)
「高知での生活もだいぶ落ち着いてきました」
5月中旬、高知市内のカフェ。昨年のパリ・オリンピック女子57kg級金メダリスト、櫻井つぐみ(育英大助手)は大きなパフェを頬張りながら、うれしそうに話し始めた。
「やっぱり高知は空気が違う。魚やフルーツも美味しいし」
髪の毛にはパーマがかかっていた。表情は以前にも増して温和になった印象だ。今春、生まれ育った高知県にUターン。4月から高知大学大学院に進学した。進路の決定は昨年11~12月までかかったという。
「(育英大の恩師である)柳川先生や両親と話し合いました。なかなか次にやりたいことが見つからなかったけど、柳川先生からは『やりたいことをやりなさい』と言われていました。最終的に一番やりたいことは地元のレスリングの普及や強化だった。地元の大学院への進学はそれにつながると思ったので」
専攻はスポーツ・芸術文化共創。担当教師の専門はスポーツ指導論ながら、櫻井は「スポーツだけではなく、音楽だったり技術など芸術分野も一緒に学び始めました」と話す。「最近できた専攻コースで私は二期生。『地元を活かせる人材を育てたい』ということだったので、自分に合っていると思いました」
受験は推薦ではなく、一般入試だった。「昔から勉強が好きだったわけではないので、育英大の先生にも協力してもらい、小論文の書き方から教えてもらいました」
高知県には何らかの形で恩返ししたい気持ちが強かったことも、帰郷するきっかけとなった。「オリンピックに出場することになったら県をあげて応援してくれたし、小さい頃からいろいろな形でサポートもしてもらっていましたから」
このところ高知県の人口は減少傾向にあり、2025年4月1日時点で65万人を割り込んだ。1年間の減少率は1.56%で、西日本で最も高い。櫻井や清岡幸大郎(カクシングループ)が通った高知南高校は西高校と統合され、現在は高知国際高になっている。
「今はレスリングを通してやるしかないけど、ゆくゆくは高知県全体のスポーツに対する取り組みを変えていきたい」
夕方になると、高知東高校に足を運んだ。マットが2面も常設されている同校のレスリング部は、高知県のレスリングの総本山というべき場所。父・櫻井優史さんが代表を務める高知レスリング・クラブもここを練習の拠点としている。
インタビュー翌日、レスリング場に顔を出すと、櫻井(つぐみ)は櫻井家の三女・つきのに熱心に指導していた。優史さんはつきのの成長に目を細める。
「つぐみのレスリングをずっと見ているので、やっぱり似ていますね」
その言葉を裏付けるかのように、つきのが姉にタックルを決めた場面があったが、そのリズムや入り方は姉のそれと見事なまでに重なった。
「パリ・オリンピックが終わって、(つきのを)一生懸命指導し始めたタイミングでつぐみが帰ってきてくれた。おかげでグッと伸びたと思います」(優史さん)
つきのの指導にも熱が入るが、つぐみもまだまだ現役。去る5月11日には東京で開催されたビーチレスリング日本代表選考会の女子60㎏級に出場して優勝した。
それにしても、なぜビーチレスリングに? 「以前にも沖縄で開催されたビーチに出たことがある。沖縄のビーチが楽しかったので、今回もちょっと出てみようかなと」
その一方で、女子レスリングの第一線への復帰はいまのところ未定のまま。選手としての今後について水を向けると、櫻井は「どうですかね」と首を傾げた。
「とりあえず、今は楽しくやっていこうと思います。レスリングの練習自体は毎日やっているし、体を動かすことも楽しい。レスリングを楽しみながら、勉強もして、(今後については)ちょっとずつ考えていきたい」
奇しくも、櫻井家の次女・はなのは今春育英大学を卒業すると、高知市に隣接する南国市の小学校の教員として採用された。週末になると、はなのも高知レスリング・クラブの練習に参加するので、地元で久しぶりに櫻井三姉妹が揃い踏みした格好だ。取材日は平日だったが、練習の終盤には、はなのも顔を出して3人揃って仲良く練習していた。
「一度県外に出たら、そのまま戻ってこない人も多い。私の人生はオリンピックで金メダルを獲得したことで大きく変わりました。そんな私を見て『つぐみさんのようになりたい』と思ってもらえるような人になりたいですね」
その言葉通り、練習では男子中学生や高校生にも熱心に指導していた。まだ23歳。櫻井つぐみの第2章は始まったばかりだ。