リーグ改編によって今年は二部リーグでの闘いとなった大東大は、1992年バルセロナ&1996年アトランタ両オリンピック代表の鈴木賢一監督、2008年北京オリンピック代表の加藤賢三コーチ(自衛隊)を迎えて再出発。予選グループで慶大、法大に敗れて3位となり、5・6位決定戦で旧二部リーグの防大を破って5位。一部リーグ復帰は来年の課題となった。
鈴木監督は「ほろ苦(ほろ苦い)ですね」と第一声。同チームは1967年に創部され、1971年に一部入りしてからは一度も二部リーグに落ちたことはなかった。当然、自身の選手時代(1987~90年)も経験がない。「二部リーグがどういうものか、はっきり分からなかった。できれば今季で一部復帰を果たしたかったが、簡単ではなかった」と振り返る。
ここ数年間、新人の獲得がうまくいっていない面があり、1年生を起用しなければならない階級もあって上位2チームと差ができたと分析する。ただ、「まだ(自分の体制は)始まったばかりです」と話し、就任2ヶ月で結果は出ないことも強調。加藤コーチとのコンビで、再浮上を目指すことを誓った。
指導で一番気をつけていることを聞くと、「昔みたいなやり方ではダメ、ということです」と苦笑い。手や足が出る、きつい言葉も出る、というやり方では選手はついてこない。選手を褒め、気持ちを盛り上げることが必要で、「和気あいあいの中にも、厳しいところは厳しくしていきたい。周囲の監督を見習いつつ、指導方法を勉強していきたい」と言う。
それでも、今大会で一度、イエローカードを出されたそうだ。おそらく判定に対しての言葉だろうが、「無意識のうちにきつい言葉が出るんですね…。気をつけなければなりません」と反省した。
同監督は千葉市在住で、道場のある埼玉・東松山市まで片道2時間半かかる。練習時間は約2時間。選手の気持ちを知るため食事に誘うこともあるので、“監督業”の日は8時間を費やすことになる。勤務の関係で週2日が限度。自分が行けないときは、今は一般部隊の幹部職にいる加藤コーチが時間をつくって顔を出してくれる。これが週2回。東松山市在住の同コーチは、勤務前の早朝の練習にも参加するなど身を削って母校の再生に着手してくれている。
そのほか、近隣の若いOBも協力してくれ、週6日の練習は「コーチ、OBのだれかがいる」という状況を作っているという。
幸いなことは、部員が22人いて、二部リーグのチームの中では防大と1、2位を争う部員数。これは大きな強味と思っている。さらに、合宿所が老朽化したため廃止し、大学の近辺のアパートに分散して居住。運動部の合宿所に特有だった「下級生=練習以外でも雑務に追われる」がなくなった。
食事のことなどを考えると賛否両論あるだろうが、「厳しい上下関係と私生活管理の中から強くなる」と考えるのは、時代錯誤であることは間違いあるまい。「プレイベート時間があるからこそ練習に打ち込める」といった発想の転換が必要。食事については、OBや保護者からの差し入れも多く、「しっかり食べてこそ強くなれることを指導していきたい」と言う。
時代の流れは、選手が監督やコーチにものおじせず、しっかりと意見を言ってくることにも感じると言う。「監督、こういうふうにしたらどうですか」などと、ずばり言ってくるそうで、自分の選手時代にはありえなかったこと。最終的に受け入れるかどうかは監督とコーチが決めることだが、「自分の意見をはっきりと言えるのは、いいこと。やる気の表れだと思います」と言う。
「選手が自覚をもってやってくれれば、絶対に強くなれると思います」と言う。“鈴木体制”は始まったばかり。時代の流れに合わせた強化方法で、一部再昇格を目指す。