(編集長=樋口郁夫)
男子グレコローマンのルールが一部変更される見込みだ。1-1で試合が終了した場合、これまで「ラストポイントを取った選手が勝者」だったのが、「先取ポイントを取った選手が勝者」へと、180度反対となるルール改正。ただし、4月7日からの欧州選手権(スロバキア)でテスト実施したうえで採用するかどうかが決まるので、まだ正式決定ではない。Xなどでの反応を見る限り、歓迎の意見の方が多いようだ。
今のルールでは、相手にパッシブを与えて1点を取り、1-0で第2ピリオドに進んでも、「次は反対側の選手がパッシブで1点を取り、逆転して試合終了かな」と思ってしまう。一進一退だった場合、最初にAに与えたら次はB、となっているのは、審判は否定するだろうが、「不文律」(暗黙の了解)と言っていいだろう。スタミナに自信のある選手は、最初に1点を取られても平気で試合を流し、第2ピリオドに前へ出て相手にパッシブを与え、1-1にしてラストポイントでの勝利を目指す場合もある。
「積極的に攻撃しない選手が勝つのはおかしい」との考えのもと、開始から積極的に攻めて先取ポイントを目指させる、という考えは、一見するともっともな理論。0-1とリードされて終盤を迎えた場合、相手にパッシブを与えただけでは、これまでのように勝てないので、テクニカルポイントを目指して必死になる、という状況は予想はできる。
だが、ものごとは一面からだけ見て結論づけてはいけない。ルール改正案を聞いて私が思ったのは、逆の論理だ。先制点を取って1-0で終盤にもつれた場合、リードしている選手は、どんな闘いをするだろうか。「パッシブを取られて1-1になっても勝てる」「グラウンドの攻撃は守る自信がある。ましてスタミナを使い果たしている終盤なら」と思えば、徹底的に逃げ切りを目指すのは明白。
結局、「闘うことを放棄」して逃げ切りを目指す選手が勝者となり、常に攻めることを求めるレスリングの理念を逸脱する試合が出てくる。
男子グレコローマンの1-1のときだけ先取ポイントを取った側が勝つ、というルールは、応援する側に混乱を引き起こす可能性がある。会場に来る観客・応援者はレスリングのルールに精通している人ばかりではない。
C選手を応援に来た人が、3-3で終わったAとBの試合を見て、「なんでAが勝つの?」と思ったとする。ルールを知っている人が「Aがラストポイントを取ったからですよ」と教えてくれ、「そうなんだ」と思う。次に、お目当てのC選手がD選手と1-1で試合が終わり、「ラストポイントを取ったから勝った」と思っていたら、先取ポイントを取ったDの手が上がった。「なんで?」と納得がいかないだろう。
「1-1で終わったときは先取ポイントの側が勝者」と聞かされ、「それがルールか」と思う。その大会は全日本選手権のように両スタイルが混合で行われる試合だったとする。もう一人応援していたフリースタイルのE選手がF選手を相手に1-1で試合を終え、「1-1で先取ポイントを取っているから勝ちだ」と思っていたら、ラストポイントを取ったF選手の手が上がった…。こんな複雑な勝者・敗者決定方法のスポーツが、ファンを引き留めておけるだろうか。
今の選手は経験がないだろうが、1993年から2004年まで「3ポイント・ノルマ制」というルールが実施されていた。5分間(途中から3分×2ピリオド)で3点を取っていなければ勝者になれず、3分間の延長へ入るルール。2-0で規定の試合時間を終えても、延長で逆転されれば負けとなった(このルールがなければ、2004年アテネ・オリンピックで伊調千春選手は金メダルだった)。
1994年広島アジア大会だった思うが、韓国選手がリードして規定の試合時間が終了し、韓国の応援団が大喜びしたが、試合が続行され、「えー! なんで?」とびっくりしていたことを思い出す。こんな複雑なルールがよく10年以上も続いていたと思う。
そのあとに実施されていたピリオド制(2分3ピリオドで各ピリオドごとに白黒をつけ、2ピリオドを取った選手が勝ち)では、さらに複雑なピリオド勝者決定方法だった。複雑すぎて、セコンドや選手でも理解できないケースもあったほど。レスリングの世界的普及を妨げる“黒の歴史”だったと思う。
ルールの複雑さはファン離れを引き起こす。陸上、水泳、サッカー、バスケットボールなどが世界のスポーツの“王者”に君臨しているのは、だれが見ても勝者敗者がはっきりしているからだ(サッカーにはオフサイドという素人にはよく分からないルールがあるが、根本は“陣取り合戦”であり、ゴールが決まれば1点という分かりやすいルールだ)。日本で相撲が根強い人気を持つのは、だれが見ても勝者と敗者が分かるからだろう。
野球やアメリカンフットボールが世界に広まらないのは、ルールの複雑さに一因があると思う。歴史的背景があって経験者が多いので米国人や日本人には理解できても、世界の人にはルールがネックとなって親しめない。
私は、男子グレコローマンの1-1のときだけ先取ポイントの側が勝つルールは、見る側に混乱を与える可能性があるので反対だ。改正するなら、すべての同点のケースで先取ポイントに優位性をもたせるべきだと思う。
せっかくの機会に書かせてもらえば、同点に終わったときの勝者決定の基準(現在は、ビックポイントのある選手、警告の少ない選手、ラストポイントの選手、の順)を廃止し、一本化するべきだと思っている。「4点、5点のビッグポイントを取ることの難しさ評価するべきだ」「ダイナミックな大技をを目指させるべきだ」という理論は分かるが、2点を2回、あるいは1点を4回取ることも大変なこと。「4点は、内容がどうであれ4点」とシンプルなルールの方が、観客に分かりやすい。
「過去に盲目となるものは、未来にも盲目になる」という言葉があるので、同点の場合の勝者決定方法の歴史を書きしるしておきたい。
■初期の頃は決着がつくまで闘い、1912年ストックホルム・オリンピックでは、試合時間が11時間40分という結果が残っている。
■時間制限がなくなった時期は定かでないが、同点で終わった場合は「引き分け」のルールができた。勝者と敗者を決めなければならないトーナメント方式では、体重を測り、軽い選手が勝ち
■1975年:「引き分け」が廃止され、同点の場合は先取点を取った選手が勝ち
■1983年:同点の場合はラストポイントを取った選手が勝ちに変更(先取点を取った選手が最後逃げ回るための対策)
■1987年:同点の場合はサドンデス(時間無制限)の延長へ。先にポイントを取った選手が勝ち
■1993年:「3点ノルマ制」が導入され、同点、あるいはともに3点を取っていない場合は、最大3分間の延長へ(サドンデスにすると試合時間が10分、15分となることがあり、テレビ時代にそぐわないための措置)。それでも同点だった場合は現在のルール(ビッグポイント、警告の数、ラストポイント)のほか、審判団の印象(という、はなはだ曖昧な基準)で決定
■2005年:ピリオド制を実施。各ピリオドの同点で終わった場合の勝者敗者の決定方法は、現行の「ビッグポイント、警告の数、ラストポイント」とほぼ同じ
■2013年途中:にピリオド制が廃止され、現行のルールへ
※短期間だが、ビッグポイントより警告の数が優先されていた時期があった
「歴史は繰り返す」-。今回のケースとは逆だが、先取ポイントを取った側が勝者だったのが、ラストポイントを取った側が勝者になる180度のルール変更は、42年前に行われていた(同点でのすべてのケース)。さて今回、世界レスリング連盟(UWW)は、どんなルールを採用するのか。
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