今月末のアジア選手権(ヨルダン)の代表選手を中心とした韓国の男子フリースタイル・チームが3月3日に来日。全日本王者もいる山梨学院大で練習を積んだあと、10日からイ・ジョングン(李正根=1986年アジア大会王者)監督がかつてヘッドコーチを務めた中大で汗を流した。
イ・ジョングン監督は日本で最後の練習となった3月12日、「日本の選手はスピードがあり、前に、前にと出る攻撃力がすごい。前に出て落とす、差すといった連係の技術で学ぶことがあった」と振り返った。日本が昨年のパリ・オリンピックで「金2・銀1」を取ったことにはふれなかったが、「世界の流れに適応していると思いました」と話した。
中大は韓国との合同練習のため1日1回の練習に変え、6分×8本のスパーリングを含めて3時間のマットワークを展開。このハードな練習に、韓国選手は最後ついていけなかったというのが実情。同監督は「すべてが日本の方がはるかに上ですね」と舌を巻いた。
中大は現在、男女のトップ5選手が韓国へ行って鍛えていて不在。この状況でこれだから、全日本王者や学生王者が数多くいる山梨学院大では、さらに実力差を感じたことだろう。山梨学院大での練習のことを聞くと無言で苦笑い。国際舞台で再台頭するには、まだ時間がかかることを感じたようだ。
「韓国では、かつてこれをしのぐ練習をやっていたのでしょう?」との問いに、「このくらいのことはやっていましたね」との答。今は「アジアの中で一番下のレベルですから」と謙遜し、それができる状況にまで行っていないことを話した。「こつこつと実力を上げていかないとなりません」と話し、2032年のブリスベン・オリンピックを目標に8年計画での強化を考えていると言う。
韓国は、以前も軽量級を中心に強豪選手はいた。あらゆる競技を通じて世界選手権で最初に優勝したのは、1966年フリースタイル52kg級の張昌宣。1976年のモントリオール・オリンピックでは、フリースタイル62kg級の梁正模が同国初のオリンピック王者となったが、全体としては日本と差があり、ナショナルチームの選手が日本の大学で練習しても簡単にやられる状況だった。
しかし、1988年ソウル・オリンピックへ向けて両スタイルとも急成長。80年代途中から日本をしのぐ成績を挙げ、日本の目標となる国だった。地元オリンピックから時間が経ち、地元開催のワールドカップなどでサッカー人気が高まると格闘技は衰退。
男子フリースタイルは2004年アテネ大会を最後にオリンピックのメダルから見離され、2021東京大会、2024年パリ大会は出場なし。男子グレコローマンも2012年ロンドン大会の金メダルが最後の栄光。かろうじて東京、パリに選手を送ったが、下位に低迷した。
レスリングだけでなく、柔道、ボクシング、テコンドーなどかつて栄華を極めた格闘技は、すべて低迷している。イ・ジョングン監督は「人口そのものが減っているので、仕方のない面はあります。具体的にどうすればいいかは簡単には分からないです」としながら、時代の流れで親が子に格闘技をやらせず、野球やサッカーの道へ進ませようとする雰囲気がある現実を説明した。
明確に口にしなかったが、最近の韓国レスリング協会は派閥争いでの混乱がときたま日本にも伝わっており、これも低迷の一員でもある様子。プロボクシングの衰退も韓国ボクシング協会のお家騒動が原因と言われている。統治の乱れによって一丸となれなければ、強化できないのは当然。同監督は「若手選手が出て来られる状況になってほしい」と話す。
それでも、パリ・オリンピックでは全体で金メダル13個を取り、かつてのスポーツ大国のメンツは保った。テヌン村にあったあらゆる競技のトップ選手が集まる練習施設は、場所を移動しながらも存在。再浮上を目指す環境はある。
そのためにも、ソウルから飛行機で約2時間半で移動できる日本は、胸を借りる相手として格好の国。昨年は両スタイルのチームが日体大で練習しており(関連記事、関連記事)、日本の指導者は、かつて鍛えてもらった恩返しの気持ちは忘れていない。「日本は、韓国レスリングの発展に全面的に協力しますよ」との問いかけに、「山梨学院大でもオープンマインドで受け入れてもらった。練習参加を歓迎してもらえ、とてもありがたい」と話し、ブリスベーン大会へ向けて気持ちを新たにした。
■中大・山本美仁監督の話「韓国チームから山梨学院大にオファーがありその流れでウチにも打診がありました。イ・ジョングン監督が中大でヘッドコーチをやっていたこともあり、受け入れました。ウチの選手にとってもいいこと。こうした機会をつかって、中大の強化もはかりたいと思います。(昨年11月の韓国オープン国際大会にも中大選手を派遣したが)私自身が韓国レスリング界に育ててもらい、つながりがあるので、今後も交流し、恩を返したい」