(撮影=保高幸子)
昨年のパリ・オリンピックの男子グレコローマン77kg級・日下尚と男子フリースタイル65kg級・清岡幸大郎の2選手が金メダルを取った三恵海運株式会社の報告会・祝賀会が2月8日、神戸市内のポートピア・ホテルで行われ、約350人の支援者が同選手と同社の快挙を祝福した。
現在、同社の長谷川敏裕(男子フリースタイル)が長期遠征しているカナダから、お世話しているレイ・タカハシ氏(1984年ロサンゼルス・オリンピック4位)の一家が来日。同社が支援している大体大の女子バスケットボール部員の約40人も出席し、会に彩りを添えた。
オープニングで、シングレット姿のアマレス兄弟が数々のパフォーマンスを披露。アマレス太郎が先月の全日本マスターズ選手権で勝利を挙げ、銅メダルを取ったことも報告され、大きな拍手を受けた。
同社の1年間の活動が報告されたあと、髙田肇社長が、オリンピック金メダル2個の快挙に「盆と正月とクリスマスと建国記念日が3回くらい来ているようなうれしさ」とあいさつ。大会前の日体大での壮絶な練習、特に松本慎吾監督から直接の厳しい指導を受けた日下について、「オリンピックが半年遅れていたら、体はボロボロになっていたでしょう。厳しい練習によくついていきました」と振り返った。
清岡は2023年12月の全日本選手権で東京オリンピック王者(乙黒拓斗)を破ったときに「抜群の運動神経とバランス感覚を感じた」とのことで、オリンピックでは「イランの前世界チャンピオンが手も足も出なかったことに驚いた」と話した。
日下を「剛」、清岡を「柔」と表現し、2028年ロサンゼルス・オリンピックで両者のレスリングが「完成する」と話した。一方で、「マークがきつくなる。地元のアメリカはこれまで以上に力を入れてくるので、気を抜かずに頑張ってほしい」と激励したた。
日下は「パリ・オリンピックでは応援ありがとうございます。いま24歳ですが、24年間で『最高』という言葉以外の言葉が見つからないくらいです」と金メダル獲得の喜びをあらためて話した。「入社前は日本で4番手くらいの選手で、レスリングを続ける環境もなかったかもしれません。採用していただき、目標である金メダル獲得を達成できました。髙田社長に本当に感謝しています」と話した。
オリンピック前の「死ぬほどのハードな練習」の思い出も、「日々の生活の中で過ぎ去っていくものです。次のオリンピックへ向けて徹底的に練習したい」と今後の飛躍を誓った。
清岡は「(6月の)壮行会の際、『いい報告会を開いてもらえるようにします』と宣言し、宣言通りのことができて、うれしく思います」とあいさつ。多くの人の応援のおかげで最高の結果を残せたことを強調する一方、「オリンピックでは、これまでの優勝では感じることのない思いを感じた」ことを披露。
これまでは、応援してくれた人に対して自分が感謝の気持ちを伝えるのが普通だったそうだが、オリンピックでは応援してくれた人から「感動をありがとう」「すごい試合を見せてくれたありがとう」など、多くの感謝の気持ちをもらったと言う。「やってきたことが報われ、最高の形で恩を返すことができました」と振り返った。
オリンピックで経験した「最高の景色、最高の気持ちを、もう一度味わいたい」と話し、ロサンゼルス・オリンピックへ向けての決意を話した。
来賓として参加した日本協会の富山英明会長は「パリ・オリンピックで日本が全競技で取った金メダルは20個。そのうちの2個が三恵海運の選手。これはすごいことです」と同社の偉業を賞賛し、レスリング界への貢献に感謝。ロサンゼルス・オリンピックへ向けてのさらなる期待の言葉を続けた。
文部科学大臣としてパリへ向かった盛山正仁氏は「オリンピックは独特な雰囲気で中で行われることを感じました。その中で力を発揮して金メダル取ることは、すばらしいこと。三恵海運から2人が出場して、2人が金メダルを取ることは、本当にすごいことです」と賞賛。
オリンピックのテレビ中継で解説を務めた長谷川恒平・青山学院大監督も登壇。中継では「三恵海運」を連呼し、それまで「さんけい・かいうん」と呼ばれることも少なくなかった同社を、「さんえ・かいうん」と正しく読んでもらえることに貢献した。自身も、2人の練習場所である日体大でかつて練習を重ねており、「明日、生きていられるかな、と思えるほど厳しい練習でした。それを毎日やり続けられてことが2人の強さだと思います」と、両選手の努力を称えた。
この日は髙田社長夫人の琴恵さんの誕生日。パーティーの途中でサプライズ紹介がありステージへ。両選手から夫妻に花束が贈られ、同社を影で支えていることへの感謝の気持ちが送られた。