(文=編集長・樋口郁夫)
「月刊レスリング」~「日本レスリング協会ホームページ」を通じてやってきたことに、大会へ向けての展望(予想記事)があります。「協会は公正中立の立場。協会がやるべきことではない」との意見もありました。野球やサッカー、大相撲ならその理論も分かります。連盟や協会がやらなくても、多くのメディアがやってくれますから。
レスリングはそうではありません。担当記者ですら全階級を熟知しているわけではなく、協会が情報を伝えることで、メディアやファンの関心を引き出し、盛り上げの一役をになうべきです。すべてのスポーツを同じに考えるべきではありません。
優勝予想というのは難しいもので、現場でしっかり見ている指導者をもってしても全階級正解できる人はいないでしょう。まして、過去の成績をもとに推測する筆者の正解率は低いと思います。競馬の「10点買い」のように候補選手の名前を列記して“ごまかした”場合もありました。
忘れもしないのは、1994年8月に新潟市で行われた全日本学生選手権の展望記事(「月刊レスリング」掲載)です。男子グレコローマン90kg級の予想は「全日本選手権2位の吉田幸司(日体大)の三連覇の可能性が濃厚だ。ライバルは同僚の加藤英之や馬渕賢司。若い佐藤亘(国士舘大)がどう食い込むか」です(ネットの時代に比べると、紙面の制約があって短かったですね)。
大会開催地にある新潟・東京学館新潟高から専大へ進み、4年生になっていた権瓶(ごんぺい)広光の名前はありません。高校時代に国体で優勝し、専大に進んでも新人戦や全日本エスポーアル選手権で優勝するなど活躍。同郷のよしみで何度も話をし、期待はしていました。しかし、学年が進むうちに優勝争いに顔を出すことはなくなりました。プロレス志望の彼は、もうプロレス流の練習をやっている、といううわさも聞きました。優勝に見離されていたことで、冷淡なもので名前を挙げることもなかったのです。
試合を前にして会場で会った時には、「こんにちは」と、にっこりあいさつしてきました。私は、展望に名前を載せてなかったことなど覚えていず、「相変わらず礼儀正しい選手だ。来年からプロレスだね」と思っていました。
ところが彼は決勝へ進み、優勝候補の吉田幸司選手を破って見事に故郷に錦を飾ったのです。「ヤッター!」という会場中に響く雄叫びで優勝の喜びを表したあと、マットを下りてから涙が止まりません。取材に行きましたが、なかなか言葉が出ません。やっと話せるようになった時、絞り出すような声で最初にずばり言われました。「樋口さんの前だから、あえて言います。展望に名前が載っていなくて悔しかった。絶対に見返してやろうと思っていました」-。
学生選手から、ここまで正面切って言われたことは、前にも後にも、この時だけです。大会前に愛想よくあいさつしてきた時も、内心はこの気持ちで煮えたぎっていたのでしょう。もし優勝できなかったら、彼は何も言ってこなかったはずです。結果を出したからこそ、本音をずばり言ってきたのだと思います。勝負の世界に生きる人間として、とても素晴らしい行動でした。
ひと通りの取材が終わったあと、「失礼な記事を書いて申し訳なかった」と謝りました。すると、「とんでもありません。書かれないような成績しか残していませんでした。おかげで優勝できました。ありがとうございました」と、深々と頭を下げられました。
同選手は、その年の12月に新日本プロレスに練習生として入団。夢へ向けて突き進みましたが、翌年1月、練習中に不慮の事故で命を落としました。度胸満点の選手だっただけに、自分をアピールすることが何よりも必要なプロレスではいい選手になっただろう、と悔やまれてなりません。天国で再会し、もう一度話してみたい選手です。
展望記事は、選手や監督・コーチにしっかり読まれているみたいで、けっこう反響があります。2010年代の中盤、山梨学院大がすごい勢いだったとき、小幡邦彦コーチ(現監督)から「『すごい』って書かないでください。緊張しちゃって自分の力を出せなくなってしまうんです」と困った顔で言われました(今は、書かれた方が張り切って力を出す選手の方が多いような気がしますが…)。
日大では、全日本大学選手権へ向けて同大学への期待が少ないことで、富山英明監督(現日本協会会長)から「悔しくないのか!」とのゲキが飛んだことがあったらしいです。富山監督といえば、いつだったかのリーグ戦へ向けて、日大の展望記事はなく、前年日大より順位の低かった中大を「期待」として取り上げたところ、日大の選手が憤慨。それに対し、「その程度の評価なんだ! 悔しかったら、勝て!」と言ってくれたという話も伝わりました。オリンピックで金メダルを取った人の人生観が表れている言葉ですね。
2013年東京国体では、展望に名前が載っていない山中良一選手(当時日体大=愛知県代表)が、高谷惣亮選手を決勝でわずか46秒、テクニカルフォール(現テクニカルスペリオリティ)で破って優勝する大番狂わせがありました。Y・M記者が取材に行くと、周囲がニヤニヤしながら「(展望に名前を載せないところなんだから)取材拒否した方がいいんじゃない?」と言ってきたそうで、私の記事のとばっちりを受けたこともありました。
このことを愛知県協会のT・Nさんにフェイスブックのメッセンジャーで伝えると、「実績がないんだから、載らなくて当然だ!」と激怒。あわてて「いやいや、顔見知りの選手からの冗談と分かるようなムードだったそうです」と、とりなした記憶があります。当の山中選手は展望記事への文句を言うこともなく、きちんと取材に応じてくれています。富山会長といい、レスリング界にはこうした人、多いですね(その中にいれば、その色に染まりますよ)。
展望記事の内容にカチンと来て奮起し、それで優勝したというケースは少なくないみたいです。うれしいですよ。読んでもらっているんですから。選手にとって、記事というのはモチベーションなんです。大阪・吹田市民教室創始者の押立吉男代表(故人=日本協会副会長などを歴任)が「活字のパワーは、指導者の言葉より強い時がある」として、私を熱烈に支援してくれました。手前みそじゃなく、これは当たっているのではないでしょうか。
期待の記事を書かれれば、プレッシャーを感じながらもモチベーションは上がるでしょう。期待されずにカチンと来たなら、「見返してやる」という気持ちが奮起につながります。どうぞ、見返してください。予想が間違っていて抗議されたら、私は頭を下げます。これからも、選手と“勝負”していきます。