※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=ジャーナリスト・粟野仁雄)
2024年天皇杯全日本選手権の男子グレコローマン63kg級決勝。アジア選手権2位で2連覇を目指す鈴木絢大(レスター)と、大学王者で挑戦者の立場の三谷剛大(育英大)との決勝は、開始早々、三谷がもつれながらの投げで4点、続けざまに首投げを放って背中からマットにたたきつけて4点を奪い、あっという間に勝利した。
「これがラストの試合になるので、思い切りやって、しっかり投げることができた。後輩につなげることができたので滅茶滅茶うれしい」と喜んだ。
小中学校時代は柔道の選手で、岡山県の高松農業高校からレスリングを始めた。「インターハイも国体も出たことないです。柳川先生(美麿=同大学女子監督)にスカウトされて入った育英大で、(実力を)伸ばしてもらいました。恩返しができたかな。最後に柔道が投げ技に生きたかなって思います」と喜んだ。
育英大で三谷を指導してきた松本隆太郎監督は「投げ技のセンスがよく、フィジカルも強かったので2年生の時からグレコローマンをやらせました。決勝は、相手がちょっと油断したように見えたけど、よくやった」と称賛する。
「国際大会も出たことがないです」という三谷。豪快な投げ技を外国人相手に駆使し、パリ・オリンピック金メダリストの文田健一郎(ミキハウス)を継ぐような軽量級のエースになってほしいとの思いが高まるところだが、なんとこれでレスリング人生とはお別れとのこと。
「春からは故郷の広島県福山市に帰って消防士になります。(卒業での引退は)大学に入った時から決めていました。最後に最高の結果になってよかった。僕が入学した頃は、育英大学ってどこにあるの、みたいな感じだったけど、後輩たちが活躍し、彼らに押されて頑張れました」と感謝する。
育英大は、10月の全日本大学グレコローマン選手権でも5階級を制覇し、大学対抗得点では日体大を抑えて初優勝を達成。女子に次いで男子も急激に力を伸ばしている。昨年はOBの原田真吾が同大学の男子として初の優勝を成し遂げ、今大会では、三谷のほかグレコローマン72kg級の本名一晟も優勝。学生の男子選手として初の日本一を奪取した。卒業と同時の引退に、「もったいない」の思いは払しょくできない。
取り囲んでいた記者たちも「本当に辞めちゃうんですか?」「指導者にもならないんですか?」など“未練たらたら”だっが、三谷は「福山はそんな環境じゃないので」と笑顔を絶やさなかった。
階級の問題もあるとはいえ、年齢的には十分に2028年ロサンゼルス・オリンピックを狙えるはずだが、一度決めたことは簡単には変えない男のようだ。
近年、全国レベルのアスリートの目標が「オリンピック」に特化されている。今大会は日本一を決める伝統の大会だが、オリンピックの金メダリスト全員が欠場し、寂しい大会となった。こうした風潮の中、国内最高峰の伝統大会で頂点を極めるや、狙えるオリンピックを狙わずに引退する潔さは、新鮮に映った。
卒業後、「元レスリング日本一」を胸に、火事現場で一人でも多くの命を救うことも、柳川、松本両監督や育英大の先輩たちへの恩返しだ。筆者は20年ほど前、神戸市で消防士3人が死亡した火事を取材した経験がある。十分に気を付けて職務を全うしてほしい。