※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=ジャーナリスト・粟野仁雄 / 撮影=矢吹建夫)
「将来、自分が生まれて母親が弱くなったとは娘に思わせたくない。今は娘も分からなくても、記録などが残るし…」
2023年全日本選手権の非オリンピック階級の女子59kg級で見事に優勝した直後の金城梨紗子(旧姓川井=サントリー)の言葉だ。かつて柔道の谷亮子さん(旧姓田村)が「ママでも金」と語った。子を持つ女性アスリートは増えても、金城のような言葉を聞いたことはない。
パリ・オリンピックの切符を手にできず、オリンピック3連覇の夢を絶たれ、30歳近くなって、今なお維持する闘争心と新たな決意。報道陣にも笑顔を見せてくれた可愛い娘さん(1歳半)は将来、この言葉を知り驚くかもしれないが、必ずやそんな母親を誇りに思うはずだ。
危なかったのは準決勝だった。德原姫花(自衛隊)に4-6とリードされて残り約10秒、絶体絶命となっていた金城が柔道の足技のような技で相手のバランスを崩し、体を浴びせると德原の体はどーっと崩れて背中から落ちた。金城がすかさずニアフォールへ持ち込んだところでタイムアップ。土壇場で8-6として逆転勝利した。
決勝は全日本選抜選手権優勝の永本聖奈(アイシン)。愛知・至学館高~至学館大時代の恩師である同大学の栄和人監督がマットサイドに控えていた。試合は、プロレス技のパワーボムのような豪快な技を見せるなどして圧倒。9-2で勝って1年ぶりに表彰台の一番高い所に立った。
今大会、パリ・オリンピック代表内定選手は出ていない。その意味では、非オリンピック階級の方が“真の日本一を決める場”とも言える。そこでの優勝はやはり素晴らしい。
準決勝について、筆者が「まだあんな勝負勘が残っているという思いは?」と聞くと、「うーん…。勝負勘というより、日大での男子選手との練習でボロボロにされても、とっさに(技を)出すことをやってきて、それで自然に出ました」と振り返った。
金城はこの日、「もう一度海外に出たい」を繰り返した。レスリングに対する世間の注目はオリンピックのみ、という一面があるのは事実だ。だが世界選手権も、男女問わずレスラーのあこがれの舞台だ。オリンピック2連覇の大選手は今、「海外に出たい」と原点に立ち返って戦い続ける。
一方、妹の川井友香子(サントリー)はその前日(第3日)、オリンピック階級の68kg級の1回戦で全日本社会人チャンピオンの吉川海優(自衛隊)と大激戦の末に敗れてしまい、パリ・オリンピックの代表を決めるプレーオフへの道を閉ざされた。
試合後の会見では、涙ながらに「もともと、なくなっていたはずのチャンスがめぐってきていた。(目標を持って練習したのは)そこからでした。ここまでよくやったと思う」などと話していた。最後に筆者が「(オリンピック連覇の)お姉さんには勝てなかった、という思いは?」と聞くと、ちょっぴり怒ったように「私は、姉と比べるようなことはしていないんですよ」と返されてしまった。
以前は、話すことは「姉任せ」にしていたようなところもあった妹。栄光もどん底も経験したこの数年で、人間的にも大きく成長したことを感じた。
本当に仲のいい姉妹だ。姉の梨紗子がマットに上がる直前、2人は長く抱擁し、試合が始まると、「梨紗子、そこ来るよ。気をつけてーっ」などとマットサイドから声を枯らす。前日は逆に、姉・梨紗子が「友香子―っ、構えを立て直してしっかり」と声援し続けた。
「強い絆(きずな)」のことを問うと、金城は「いつが最後になるか分からないという思いですので…。私は、ですよ。友香子は知らないけど」と話した。オリンピックに出ようが出まいが、プレッシャーや辛さを、ともに励まし合って乗り越えてきた姉妹の深い絆は変わらない。
いつまでも、この日のようなマットでの2人の姿を見たい。