※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=布施鋼治)
今年の全国社会人オープン選手権は、海外選手の参加が目立った。一番多かったのがオーストラリア勢で、「NSW WRESTLING」の名で参加した団体戦では、優勝した国士舘クラブと1回戦で対戦し、0-5と完敗を喫し、早々に姿を消した。しかしながら、フリースタイル個人戦86㎏級では、団体戦に出場しなかったジェイデン・ローレンスが優勝するなど爪痕を残した。
オーストラリア勢のコーチは下山田培さん(日体大OB)。現役時代は男子グレコローマン67㎏級で活躍。惜しくも東京オリンピック出場はならなかったが、2021年10月にノルウェーで開催された世界選手権では、約2ヶ月前の東京オリンピックで優勝したモハマド・レザ・アブドルハム・ゲラエイ(イラン)をあと一歩というところまで追い込んだ。
東京オリンピックに先立つ同年4月のアジア選手権ではかつて辛酸を舐めさせられたアルマト・ケビスパエフ(カザフスタン)に0-7と絶体絶命の状況に追い込まれながら、逆転フォール勝ちを収めて優勝するなど、記録より記憶に残るレスラーだった。
下山田さんは22位に終わったノルウェーでの世界選手権で引退を決意。昨年春からオーストラリアに渡った。活動の拠点は同国主要都市のひとつで2000年にオリンピックを開催したシドニー。現地でプールの監視員として働きながら、まだグレコローマンが普及していない地でこのスタイルを根付かせようと日々奮闘している。
「僕のクラスは週1回、毎週土曜日に90分のクラスでグレコローマンの指導をメインにやっています。あとは違う指導者のクラスで、アシスタントのような形で教えています」
日本では、最もグレコローマンの選手層が厚い日体大を拠点に活動してきた下山田さんにとって、現在の環境は天と地ほどの差を感じている。
「みんな、仕事が終わったあとに近くのジムで練習するという形です。部活動ではなく、完全なクラブチームです。大半の選手は柔術やMMA(総合格闘技)と並行してレスリングをやっていますが、中にはレスリングだけをやっているという選手もいます」
すでに、今後期待できる選手も発掘している。冒頭で記したローレンスは昨年8月に英国で行われたコモンウェルス(英連邦)大会で3位に入賞したばかりではなく、別の大会では2016年リオデジャネイロ・オリンピック男子フリースタイル74㎏金メダリストのハサン・ヤズダニチャラティ(イラン)から2点を奪ったこともあるという。
「一番期待できる選手ですね」
それにしても、なぜ現地の選手たちを異国の地の大会に出場させようと思ったのか。
「そもそも佐賀県の鳥栖工業高校で合宿することを目的に来日する予定でした。ちょうどその時期に社会人オープンがあることを思い出したので…」
取材したのは大会初日。団体戦の初戦で敗北を喫した直後だったが、下山田さんは結果を真摯に受け止めていた。「オーストラリア自体、まだレベルは高くないので、これからこういう機会を作って強化をはかっていきたい」
下山田さんが思い描く強化策はかなり具体的だ。2028年に米国・ロサンゼルスで開催のオリンピックに向け、実施しようとしている。
「あと1~2年での強化では無理なので。僕の方もロスに向けてオーストラリア代表として試合をしたいと思っています」
ということは復帰?
「はい。やっぱり自分でやった方が、いいプロモーションになると思うので。頑張ってやれば、オーストラリア代表でオリンピックに出場できると思います。ロサンゼルスでも、階級に変更がなければ、再び67㎏級で挑戦しようと思っています」
下山田さんは「もうすぐ永住権がとれる見込み」と笑顔を見せた。「あとは英語のスコア(英会話の基準値)が必要なだけ。僕はオーストラリアに骨を埋めるつもり。日本への未練? ないですね。向こうの方が物価は高いけど、居心地がいい」
最近は下山田さんだけではなく、男子グレコローマン63kg級の池田龍斗(日体大OB)がオーストリアで指導するなど、海外で活動するケースが増えてきた。その理由を聞くと、下山田さんは「松本(慎吾)先生に“世界に勝つためのレスリング”を習ったせいですかね」という推論を立てた。
「言い方を変えたら、それは“世界に広めるレスリング”でもいいんじゃないかと思うんですよね。僕は自分がやってきたことしか教えられないけど、シドニーでできるだけのことはしようと思います」
2032年にはオーストラリア第3の都市ブリスベンで夏季オリンピックが開催される。
異国の地で、グレコローマンの花よ、咲きほこれ!