※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=ジャーナリスト 粟野仁雄)
「みんな逃げていたのに、堂々と組んでくれた」
男子グレコローマン60kg級決勝で敗れた文田健一郎(ミキハウス)。試合後、自分を破った相手をたたえるさわやかな笑顔が、「ありがとう」と語っていた。
前日、パリオリンピック代表内定を勝ち取って臨んだ決勝戦。昨年の世界王者ジョラマン・シャルシェンベコフ(キルギス)に開始早々、横へ投げられて0-4と先行された。文田は、準決勝までは“封印”していたかに見えた得意のそり投げを3度繰り出して反撃したが、うまく投げてもビッグポイントにはつながらない。相手に加点され、最後は6-11で敗れた。
涙はなく、「新しいスタイルを大事にして、誰に対しても貫ける選手になりたい」と落ち着いて語った。
準々決勝までの4試合は、順当に勝ち上がった。準決勝で欧州王者の実績を持つゲボルグ・ガリビャン(アルメニア)を下し、パリ・オリンピックの代表を決めて「ウォーッ」と叫んだ。
「レスリングの神様がいるのなら、与えてくれたチャンスを絶対に無駄にしないようにしようと思った。子供と妻の2人を胸を張ってパリの試合会場に連れていけるのが、すごくうれしい。去年は悔しい思いをした(3位)。でも、世界のレスリングがこうなら、勝つために何をしたらいいかを考えた。地味にやること。やっても面白くないし、見ている人も面白くないと思うけど、このスタイルをもっと極めたい」と話していた。
準決勝までに得意のそり投げは出ずじまいだったが、決勝では3回も仕掛けた。
「最近は警戒されていた(相手は腰を引き、胸を合わせて攻めてこない)。彼は好戦的に攻めてきて、のまれた。ポイントを取られたら、がむしゃらに、形が悪くても攻めなければ、と思った。リードされては(そり投げを決めないと)追いつけない。それでも(逆に)取られてしまうところが課題だけど、攻める形をおろそかにしないスタイルを確立したい。ここまでがっぷり四つに来る相手は久々で、びっくりした」などと話した。
山梨県韮崎市出身。2012年ロンドン・オリンピック金メダリストの米満満弘(自衛隊)らを育てた父・敏郎さんが監督をする韮崎工業高校から日体大へ。立ち姿勢で後ろに反り返り、手が床に着くという、非常にやわらかい背骨を生かした豪快な「そり投げ」が得意技。体が柔軟な猫好きでも知られ、「猫男」「ニャンコレスラー」などと呼ばれる。
オリンピック初出場の2021年東京大会では、グレコローマンの日本勢として1984年ロサンゼルス大会52kg級の宮原厚次以来、37年ぶりの金メダルが期待されたが、キューバの選手に1-5で敗れ、銀メダルに終わった。休養のあと、復帰した昨年の世界選手権ではが銅メダルだった。
4年前のカザフスタンでの世界選手権に優勝して東京オリンピック代表を決めた時は、日体大の2年先輩で、2016年リオデジャネイロ・オリンピック銀メダリストの太田忍(現総合格闘家)とのし烈な代表争いを思い出して、「忍先輩が、忍先輩が」と号泣していた。
今回、先輩へのメッセージを聞くと、「メッセージなんておこがましいけど、いつも刺激をもらっている。先輩が頑張っていると、やっぱり頑張んなくちゃ、と思う。道は違ってもライバルです」と笑顔を見せた。
「父に習った投げ技こそがグレコローマンの魅力」と言ってきた文田。2019年の世界選手権では前年世界王者のセルゲイ・エメリン(ロシア)を豪快に投げて逆転勝ちし、世界一に輝いた。
だが、投げにはこだわらない。一本勝ちが期待される柔道でも、東京オリンピック男子60kg級で優勝した高藤直寿選手は、“泥臭い闘い”でポイントを重ね「見ていて面白くないかもしれないけど、これが僕の柔道」と言っていた。
高藤同様、「1点差でも勝ちは勝ち」の原点に返った文田健一郎は、「この2年間はアップダウンがあった。(パリまで)もう1年もない。金メダルはパリで、ということで…」と力強く語った。
「ニャンコレスラー」は、日本男子グレコローマン40年ぶりの悲願をかけて、パリで頂点を狙う。