※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治)
「凡人の僕でも、オリンピックの舞台に立てるなんて…」
2023年世界選手権第7日。男子グレコローマン77㎏級の日下尚(三恵海運)が大会初出場にして銅メダルを獲得し、自力でパリ・オリンピックへの出場切符をつかんだ。
「決まった瞬間には泣いてしまうんじゃないかと心配になったけど、本当にうれしい」
有言実行だ。7月31日に公開された草津合宿で、日下は「凡人が超人を倒す」と宣言していた。自らを凡人と評するのは訳がある。レスリングは3歳から始めているが、高校まで目立った成績を残しているわけではない。日体大入学も特待生枠ではなかった。
もっと言うと、今大会でもさほど期待されていたわけではなかった。そんな周囲の空気を日下は敏感に察知していた。
「みんな『日下なんて無理だろう』と予想していたでしょう。でも、自分だけは自分を信じていた。笹本睦コーチから『世界選手権に楽な試合なんてない』と言われていたんですよ。その言葉を念頭に、『妥協せずに自分に打ち勝つ。妥協したら負ける』と思いながら戦っていました」
昨年7位のアラム・バルダニャン(ウズベキスタン)との3位決定戦を制した勝負のカギは、俵返しに行くふりをして仕掛けたがぶり返しだった。準決勝までに、日下はこのがぶり返しも一度も仕掛けていない。だからこそバルダニャンは思い切り回され失点した挙げ句に、試合のペースを握られることになった。
さらに第2ピリオドには得意の巻き投げで4点を獲得。8-0のテクニカルスペリオリケィでバルダニャンに引導を渡した。
「最高の舞台で最高の得意技を出せたかなと思っています」
決勝の前日に行なわれた準決勝では、以前から対戦を熱望していたアクジョル・マフムドフ(キルギス)と対戦する機会に恵まれた。結果的に敗れたとはいえ、スコアは5-7。日下は自分の力が世界で通用することを、あらためて実感した。
「スタンドで失点したミスがなければ勝てていたと思う。自分のプランは間違っていなかったし、差はなかったと思っている。次はパリの舞台でやり返したい」
国際舞台でも通用するほど成長した理由は分かっている。日体大のレスリング場では曽我部京太郎(67kg級代表)と双璧という練習量だ。
「(今年8月に実施した)ドイツ遠征では、ほかの選手は1日2部練習のところを自分は4部練習でやったり(注=階級別などで4セッションの練習があり、普通はそのうち2セッションを選ぶ)、毎日毎日、きつい練習をやっていました」
日体大では、1年生のときから松本慎吾監督に特訓を志願。合同練習以外の時間帯にマンツーマンの練習相手をやってもらったという逸話も見逃せない。「昼の空き時間にも練習していただいたことが、自分が強くなれた一番の要因だと思います。身体がきつい日もあったけど、最終的にはその思いが『あれだけ練習してきたんだ』という自信に変わっていきました」
東京オリンピックのときには、77kg級の日本代表で銅メダルを獲得した屋比久翔平(ALSOK=今大会は82kg級に出場)の練習パートナーを務めたことも、日下に大きな影響を与えた。草津合宿で日下はこんなことを言っている。「屋比久先輩のオリンピックのパートナーで行かせてもらって、試合自体は見ていました。世界の中で自分がどのようなレベルかを把握していた。本当にすごく差があるというわけでもなく、紙一重の勝負だと思っていた」
先天的な要因もある。中学時代には相撲で全国大会にも出場し、決勝トーナメントまで進出しているというのだ。
「中学時代は、レスリングより相撲の方を多くやっていた気がする。変な話、高校進学のとき、レスリングではスカウトがこなかったけど、相撲の強豪校からは来ました」
相撲で培った足腰は、今大会でも十分役立ったと振り返る。
「今大会でも『何回やったんだ?』というくらい押し出しましたからね。グラウンドでは全然点を取れていないけど、押し出しで点数を取っていました。今回は相撲で闘っていたと思います。相撲の恩師は小学校のときの体育の先生です。そこから始まった縁なので、自分は本当に恵まれている。相撲と出会った運命がパリ行きを支えてくれた」
日下は香川県の出身。県民食であるうどんをこよなく愛し、準決勝後の夜は持参した乾麺のうどんを勝負飯にした。
「うまかったですねぇ! おかげで、3位決定戦では自分のレスリングにコシがでました」
パリでも相撲やうどんのようにコシの強いレスリングで勝負できるか。