※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=ジャーナリスト 粟野仁雄)
大けがでもしない限り、パリ・オリンピックの金メダルは間違いないと思わせる強さだった。
2021年東京オリンピック・チャンピオンの須﨑優衣(キッツ)が、2023年世界選手権第5日の9月20日、女子50kg級で見事に優勝した。前日の決勝進出決定で、パリ・オリンピックの切符も射止めている。これで4度目の世界チャンピオン(東京オリンピックを含めて5度目の世界一)。「うれしく思います。支えてくれた人たちに今回の優勝をささげたい」と、まずはいつもの言葉で話し始めた。
準決勝までは圧倒的な力を見せつけ、得意のアンクルホールドを駆使して短い時間で勝ち上がった。決勝の相手はモンゴルのオトゴンジャルガル・ドルゴルジャフ(モンゴル)。昨年もこの会場での決勝で当たっていて圧勝した。今回もオリンピック・チャンピオンの貫録を発揮し、全く危なげなかった。
開始直後こそ両者均衡したが、須﨑は相手が少し体勢を崩したすきを逃さずに片足タックルを仕掛け、試合の流れを一気につかんだ。左足をつかみ素早く背後に回り、開始50秒で2ポイントを先制。すかさず相手の両足をつかむと、ローリングで一気に点数を積み上げてテクニカルスペリオリティ(テクニカルフォール)で勝利した。
「去年と同じ相手で、同じ場所だったので、いい流れかなと思った」と振り返った須﨑は海外選手に公式戦でまだ無敗である。
試合後は、約3週間前にひざを負傷して右足を引きずる時期もあったことを吐露した。「苦しい時間だったけど、乗り越えることができたので、今後の私にとっても大きな自信になると思った」と話した。
前日のフェン・ジキ(中国)との準決勝では、少しもつれた場面もあったが、「自分の得点と思ったら相手の得点だった。でも、想定外になっても絶対に勝つと信じていました」などと冷静に振り返っていた。いつものように笑顔ではきはきと語ってくれていたが、急に「経験したことない苦しさも…」と涙顔になった。
ヒロインが盛んに口にしたのは、「4年前」にさかのぼる。2017・18年、JOCエリートアカデミー~早大に在籍していた須﨑は世界チャンピオンに輝き、飛ぶ鳥を落とす勢いで、「東京オリンピック出場は間違いない」とも思われた。2018年の全日本選手権は負傷欠場したが、翌2019年6月の明治杯全日本選抜選手権で優勝した。
ところが、全日本選手権を制した入江ゆき(当時自衛隊=現姓田中)とのプレーオフに敗れてしまい、その年9月のカザフスタンでの世界選手権(東京オリンピック予選)に出られなかった。入江が世界選手権でオリンピック出場権を取れず、首の皮一枚がつながる。そして大逆転で東京切符を手にした。
入江に敗れた時、号泣しながら元世界チャンピオンの吉村祥子コーチに抱きかかえられるように会場を去った姿が、今も筆者の眼に焼き付いている。
「世界チャンピオンとしてパリ・オリンピックに出ることが目標でした」と強調した須﨑は、「ここ(世界選手権)での悔しさは、ここでしか晴らせない。オリンピック・チャンピオンになってもその悔しさはずっと変わらなかった」と話した。
4度目の世界一となった今も、なお、「4年前」のあの日にこだわり続ける。オリンピック・チャンピオンになったのだから、そんな過去は消えているのかと思ったら違った。「悔しさ」を決して忘れないことこそが彼女の強さなのだ。「また日の丸を一番高いところに掲げて、君が代を歌おうと気合が入った」と24歳はパリを見据えた。
東京オリンピックに出場した女子選手の中で、今大会のマットに立ったのは須﨑だけだった。やはり、厳しい世界である。