※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
昨年、5年ぶりのインターハイ出場を果たし、地元大会で連続出場となった帯広北(北海道)は、初戦の1回戦で日野(滋賀)を5-2で下したものの、3回戦で優勝候補の一角とされた飛龍(飛龍)に0-7で黒星。昨年大会、今年3月の全国高校選抜大会でも1勝したあと敗れており、それを越えられず2日目のマットに立つことができなかった。
うなだれる選手たちに、「胸を張れ」と声をかけて終了時の相手チームとのあいさつに送り出した五十嵐真人コーチ(自衛隊レスリング班出身)だが、地元の記者に囲まれて話をしているうちに、悔しさがこみあげてきたのか、目を赤くし、言葉が詰まる場面も。
「飛龍は、高校選抜大会でメダルを逃した中で一番力のあるチームだと思っていました。個人戦でも全員がメダル争いにからむのではないでしょうか。苦しい闘いになると予想していました」と話す一方、試合の流れを呼び込めれば、「別の展開になったのでは、という気がします」と振り返る。団体戦特有のムードに引き込まれた感覚も口にした。
「結果は0-7でしたが、選手の成長を感じることができた試合です」という言葉は、決して負け惜しみではあるまい。ただ、「悔しさは残りますね」とも。「選手たちは、よくやってくれたと思います。指導者の考えが甘かった。飛龍は強いですけど、それを言っていたら、いつまでもメダルは手にできない。何か足りなかったのかを考えたい」と、選手の健闘をたたえつつ、自身の反省も口にした。
1、2年生のチームであり、このメンバーで来年も臨むことになる。「今のチームでもベスト8の力はあると信じています。選手がこの悔しさを感じてくれれば、来年はメダル争いに加われるでしょう。そんなチームを作りたい。その前に、(翌々日から始まる)個人戦にこの悔しさをぶつけてほしいです」と前を向いた。
金メダリスト5人を含めてオリンピック選手21人(都道府県別最多)を輩出したのが北海道。インターハイでも、1967年に旭川南が学校対抗戦で優勝しており、個人戦での優勝者も輩出していた。1994年全国高校選抜大会での岩見沢農の優勝を最後に低迷期へ。学校対抗戦は初戦敗退が続き、オリンピック選手を誕生させた学校は次々と廃部となった。
新しい力が芽生えてきたのが、2010年代に入ってから。2013年7月に札幌市で全国少年少女選手権が開催され、北海道からは大会史上最多の6チームが参加して、「銀2・銅4」を獲得。優勝はなかったが、復活への道を歩んでいる結果を示した。
自衛隊を退官して帯広に戻り、整体師をやりながらキッズ選手を教えていた五十嵐コーチは2014年、自前の道場をつくってキッズ・クラブを本格スタートした。その中から、2015年に清水賢亮(当時帯広北高=現自衛隊)がJOCジュニアオリンピックを制し、世界カデット(現U17)選手権5位入賞の好成績。2017年世界ジュニア(現U20)選手権では、日本の高校生として初のメダル(銅)を取り、北海道復活をアピールした。
清水は、現在ではキッズ・クラブや帯広北高の選手の目標になっていると言う。同コーチは清水以外にも、伊藤翔哉(現専大=今年のU23世界選手権出場予定)、伊藤海里(現鳥栖工高=2022年U15アジア選手権3位)、佐々木すず(現中大=インターハイ2連覇、今年のU20世界選手権出場予定)、野口紗英(現帯広北高1年=今年のU17アジア選手権3位)、熊澤夏生(現帯広クラブ=今年のU15アジア選手権4位)の名前を挙げ、「世界で闘う選手が身近にいることで、それが目標になります」と言う。
全国で勝つだけでなく、世界で闘うことが目標となった一貫強化のチーム。環境的には厳しく、周囲に高校レスリング部のあるところはない。最も近いところが札幌と旭川で、距離にして約200km。道路が整備されている現在だが、それでも片道2時間以上で、出げいこも簡単にはできない。関東や関西のように、近くに胸を借りられる大学レスリング部はない。
そんな条件下でも、五十嵐コーチの情熱は揺るがない。1994年全国高校選抜大会で岩見沢農が優勝したとき、同コーチも帯広北の選手として会場におり、同郷チームの全国一を感動の思いで見ていたという。まず「来年はメダルにかかわりたい」。その先には、全国一、そしてオリンピック選手の誕生があるのは言うまでもあるまい。