※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
2月11日、東京・新宿スポーツセンターで3年ぶりに開催された「東京新宿ライオンズクラブ旗争奪戦/少年少女選手権」。審判員の中に、日体大時代の2019年に全日本学生選手権・男子グレコローマン77kg級で優勝し、2020年全日本大学グレコローマン選手権も制した下山田周(あまね)さんがいた。
現在23歳。東京オリンピックを目指した兄(下山田培=2021年アジア王者など)を追って世界を目指すと思われたが、すでに現役を退いた。神奈川・平塚市の支援学校で教員をしながら、東海大でコーチをやりつつ審判員として世界を目指している。
選手としては2021年全日本選手権が最後だった。首の故障が原因のようで、そのことは否定しなかったが、「レスリングを多くの人に楽しんでもらいたい、という気持ちがあった。いろんなところでレスリングを教えていければいいな、という気持ちからです」と、首だけが引退の要因ではないことも強調した。
「選手生活への未練は?」との問いには、無言の笑顔。学生王者にまで輝いた人間が、「未練なくマットを去る」ことは考えにくいが、それで人生を棒に振ってはならない。「首(の負傷)もありますし…」と話し、別の方面からレスリングへの思いを燃やす腹積もりだ。
まず手掛けたのが、東海大のコーチ。オリンピック選手も輩出し、2015・16年には東日本学生リーグ戦の一部リーグで闘った同大学だが、今は二部リーグ。大学入学後にレスリングに取り組む選手が多い。
下山田さんは、山梨・韮崎工高校時代に学校対抗戦で全国高校選抜大会2位になったレギュラー・メンバー。その後、王者が集まる日体大でレスリングを続けた。そんな選手にとって、大きな違いのある環境での“レスリング生活”。そのギャップに戸惑いもあろう。だが支援学校に勤めたことで、「『普通』が、『普通じゃない』ことに気がつきました」。自分の歩んでいる道が世の中のすべてではない。いろんな世界があることを知った経験が役立った。
チャンピオンを目指すことだけが、レスリングではない。「『レスリングが楽しい』と思え、社会人になってからもやってくれるようなれば、それもいい、と思ってやっています」と話し、初心者への指導に携わっている。
また、仕事柄、障がいのある子供達や大人の活動に積極的に取り組む気持ちを持っており、その一環として柔道で存在するような障がい者のためのレスリングをスタートさせ、普及させることも考えている。「この記事を読んで共鳴してくれる人がいたら、ぜひ一緒にやりましょう」と呼びかけ、障がい者のためのレスリングの輪を広げていきたい希望も持っている。
この大会には、「神奈川・くりもりクラブ」(栗森幸次郎代表)派遣の審判員として参加。同クラブでは、まだ本格的な指導はしていないが、「これから、いろんなクラブに足を運んで、子供たちにレスリングを教えたいと思っています」と、キッズ選手の指導にも本格的に取り組む予定。「子供たちがレスリングの楽しさを感じてくれる環境をつくっていきたい」と希望を話す。
▲2016年全国高校選抜大会・学校対抗戦準決勝、下山田さんはラスト20秒から4点のビハインドをはね返して勝利。韮崎工高の初の決勝進出を決め、マット上で号泣!(関連記事)
同時に、審判員の道も模索し、この日までにも何大会かに参加。経験を積んでおり、今年4月のJOCジュニアオリンピックではA級ライセンス取得を目指す。「いずれ国際審判?」との問いに、「できれば」と返し、選手としては実現しなかった世界への飛躍も念頭に入っている。
「一番近い存在であり、支えられた」と言う兄・培さんは、東京オリンピック出場を逃したあと、オリンピックの2ヶ月後にノルウェー・オスロであった世界選手権で、試合後にマット上でレスリングシューズを脱ぐという“トップ選手にだけ認められている儀式”を演じてマットを去った。その後、オーストラリアに移り、現地の選手を指導する生活を始めた。
一転して、帰化してオーストラリア代表としてオリンピックを目指すと伝えられている。本人から直接連絡があったわけではないが、周さんにもそう伝わっており、周辺の人たちから帰化できるようにサポートしてもらっている、との話も入っている。かなり信ぴょう性の高い情報。切れ味鋭いリフト技は、そう簡単にさびつくものではない。オーストラリア代表になって、オセアニア・アフリカ予選を通過することも不可能ではあるまい。
「兄らしいですね。兄弟して、レスリングが好きなんですね」と笑う下山田さん。兄は同じ舞台を目指し、自身は別のステージに移ったが、ともにレスリングへの情熱は消えていない。兄が選手か指導者で参加する大会に、弟が審判員として参加する場面があるかもしれない。下山田兄弟が、世界で台頭する日がやってくる-。