※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治)
「去年、世界選手権(ノルウェー)に出場した直後には、実はレスリングをやめようと思っていたんですよ」
目前に迫ってきた2022年天皇杯全日本選手権について抱負を聞こうとすると、男子フリースタイル86kg級の吉田隆起(自衛隊)はショッキングな話を始めた。「オリンピックが終わった直後で、そんなに強い選手も出ていないのに、3位以内にも入れないなんて…、と思いました(5位)。指導者の道に進むのもいいかなと考えました」
この大会で79㎏級に出場した吉田は、準決勝で“生きる伝説”ジョーダン・バローズ(米国)と、続く3位決定戦でU23世界選手権3位のラディク・バリエフ(RWF=ロシア・レスリング連盟)と闘う機会に恵まれたが、それは新たな糧とはならなかった。
逆に「オレは、まだ世界に勝てないのか…」と絶望感にさいなまれてしまった。迷いながらも、2ヶ月後の全日本選手権には階級を上げて86㎏級にエントリーしたが、棄権した。なぜ? 「けがです。高校時代にやったヘルニアとはまた別なんですけど、腰の調子があまりよくなかった」
現役に踏みとどまったのは、腰のけがをしたときに力を貸してくれる指導者がいたからだ。「その人たちが自分に求めているのは、世界のレベルだった。だったら、また頑張るか、という気持ちになりました。全日本選手権で3位に入るための練習を求められていたら、とっくの前にやめていますよ」
マットの練習ができない期間は、腰に負担がかからないようにしながらウエートトレーニングに励んだ。「(2012年ロンドン・オリンピック金メダリストの)米満達弘コーチが現役時代にやっていたメニューをやらせてもらっています。指導は米満コーチからマンツーマンで受けています」
米満コーチとは、年齢が離れていることもあってやや距離があったが、昨年の世界選手権で急接近し、「いまは割と何でも話す仲」になったという。「科学的というより、根性やパワーを重視したメニューです」
おかげで、吉田は昨年と比べると明らかに身体が一回り大きくなった。「74㎏級や79㎏級でやっていたときも、身長は低い方だったけど、86㎏級だと周りは180㎝級の人ばかり。(同門で2019年世界選手権74㎏級5位の)奥井眞生さんを除けば、誰とやっても自分の方が小さい」
しかしながら、吉田はそれをハンディとは思っていない。逆転の発想で、小さい身体にはアドバンテージがあると、とらえている。「的が大きければ、その方が入りやすい。たぶん、相手は自分くらい身長が低いとやりづらい」
理想は、総合格闘技に転向した藤波勇飛(2017年世界選手権70kg級銅メダル)が実践していた緩急のついたファイトスタイル。「ずっと力を入れているのではなく、勝負に行かなければならないときだけ、ガッと行く。今、藤波さんの試合映像を見て、めちゃくちゃパクっています」
7月の全日本社会人選手権で、初めて86㎏級に挑戦して優勝した。吉田は「棄権してもいいかなと思っていた」と打ち明ける。「ウエートトレーニングだけをしっかりやっていた時期で、マット練習はあまりやっていなかったんですよ。やってみたら思ったよりいけるという感じでした」
吉田にとって新天地となる86㎏級は強豪揃い。所属する自衛隊だけでも奥井(前述)、昨年の世界選手権代表の石黒隼士と三つ巴の様相を呈している。「みんな、めっちゃ強い。奥井さんとは最近あまり組まなくなったけど、試合がまだ先の時期は、3人で回して練習したりしています」
ほかにも、今年の世界選手権代表の白井勝太(クインテット)、U23世界選手権で優勝という快挙を成し遂げた白井達也(日体大)とタレントが多い。そうした中でも、吉田はタフに勝ち抜こうとしている。
「今は自分のことで精いっぱいなので、サッカーのワールドカップも見ていません」
減量苦から解放された未完の大器は、2024年パリ・オリンピックに向けて一歩踏み出すことができるか。