※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
【ベオグラード(セルビア)/文=布施鋼治、撮影=保高幸子】セルビアで開催された世界選手権・最終日(9月18日)。男子フリースタイル61㎏級の樋口黎(ミキハウス)は、決勝でレザ・アトリ(イラン)を第1ピリオド、10-0のテクニカルフォールで破り、笑顔とともに右手の人指し指を高々とあげた。
「ようやく世界で一番になれることができたので、そうしました(右手の人指し指をあげた)」
振り返ってみれば、樋口は不思議なキャリアを持つレスラーだ。2016年リオデジャネイロ・オリンピックでは、57㎏級で銀メダルを獲得しながら、その前にも後にも世界選手権に出場した記録は残っていない。つまり今回が世界選手権に初出場初優勝だった。
世界選手権に縁がなかったことについて聞くと、「ずっとオリンピックにこだわってやってきた」と主張した。「世界選手権に出られないことに対して悲観的な考えは、そんなになかった。オリンピックでどうやったら金メダルを取れるかを突き詰めてやってきたので」
初戦となった2回戦は欧州選手権3位のイスラム・デュダエフ(アルバニア=元ロシア)、続く3回戦は昨年の世界3位のアルセン・ハルチュチャン(アルメニア)、準決勝は2018年に全米学生選手権を制したセス・グロス(米国)と争った。
樋口は「どの試合も山だった」と振り返る。とりわけグロス戦は接戦だった。下から手足を複雑に絡みつけ、いつの間にか有利な体勢に持っていくグロスを相手にデットヒートを余儀なくされた。樋口は「戦力分析をしていたので、強いことは分かっていた」と言う。
「あまりからんだら(付き合っては)いけない、と思いつつ、からみの強い相手から(その体勢になったうえで)ポイントを取りたいという意地がありました」
第2ピリオドには6-7と逆転された場面もあったが、焦りはなかった。「相手は最初、ものすごく力が強かったけど、結構減量していたと思うので、後半は極端に力が落ちてくると予想していた。なので、最後は絶対にとれる自信がありました」
決勝を争ったアトリは、昨年の東京オリンピック57㎏級で5位という成績を残すが、リオデジャネイロで樋口はイランの英雄とも言えた2013年世界王者ハッサン・ラヒムを撃破している。セコンドに就いた湯元健一コーチ(日体大教)は「基本的にイランのオーソドックスなスタイルなのでやりやすい」と予想していた。「全力でサポートしていたつもりだけど、最後はファンのような目線で楽しんでいましたね」
世界選手権の決勝で、それだけの実力差を感じていたのか。記者の目から見ても今大会の樋口は不安要素より「どうやって勝つのか」という興味の方が大きかったように思う。
奇しくもフリースタイルの初日に金メダルを獲得した70㎏級の成國大志(MTX GOLDKIDS)とは、現地のホテルで同室。部屋に戻ってきた成國は「先輩もこれを取るんですよ」と言いながら金メダルとチャンピオンベルトを見せてくれた。樋口は「すごく刺激をもらえた」と感謝する。「成國は小さい頃から知っています。何度も一緒に練習したことがあるので素直に喜べました」
成國の活躍が、樋口の闘志にさらに火を付けた。「オレも負けないぞ」-。
世界選手権の男子フリースタイルで、日本代表が2個の金メダルを獲得したのは、1979年に高田裕司と富山英明が揃って雄叫びを挙げて以来、実に43年ぶりの快挙だった。記録について聞くと、樋口は「気にしたことがない」と話す。 僕の根本は湯元先生のレスリング。小さい頃から先生の試合映像を見ながら腕とりやハイクラッチを研究して真似してきました。その湯元先生の実績(2011年の世界選手権で3位)をひとつ超えられたことは素直にうれしいです」
今年12月の天皇杯全日本選手権ではオリンピック階級である57㎏級に戻して挑む。「長谷川敏裕(三恵海運=今大会は3回戦で敗退))に勝たないとパリ・オリンピックには出られないと思っています。もちろん、長谷川以外にも強い選手はたくさんいる。チャレンジャーの気持ちで、勝ちに徹したレスリングをしていきたいです」
湯元コーチから伝承されたレスリングを武器に、東京オリンピック出場を逃した樋口の“復活ストーリー”が始まるのか。