※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
【ベオグラード(セルビア)/文=布施鋼治、撮影=保高幸子】いったい、誰が彼の活躍を予想していただろうか。セルビアで開催中の世界選手権・第7日(9月16日)。男子フリースタイル70㎏級決勝では、成國大志(MTX GOLDKIDS)がゼイン・レザフォード(米国)を10-0のテクニカルフォールで破り、初出場初優勝の快挙を成し遂げた。
記者団の前に現れたニューヒーローは、天を仰ぎながらあふれ出す涙をこらえた。
「もう本当にいろいろありすぎて┄。やっとここまで来た感じです」
セルビア入りする直前から成國の身にはアンラッキーな出来事が津波のように押し寄せた。まず最終調整に励んでいるときに新型コロナウイルスに感染していることが発覚。隔離された状況で1週間ほど過ごさざるをえなかった。
「症状は全く出なかったけど、練習することができなかった。部屋の中で倒立やトランクケースを担いでスクワットしたりしていました」
ようやく陰性となり、他のフリースタイル勢より遅れてセルビア入りすると、今度はロストバッゲージという災難に見舞われた。
「詳細はよくわからないけど、本当に大変でした。ただ、シングレットやシューズは手荷物の中に入れていたので大丈夫でした。荷物が届いたのは試合の前日(14日)。焦りましたね」
騒動はそれだけでは収まらなかった。宿泊先のホテルで2万円の盗難にあったというのだ。アンビリーバブルな負の連鎖に、成國は「もう散々でしたよ」と頭をかく。
「正直、勝てるとは思っていませんでした。自分の中では満足な練習ができなかったことでの体重減が一番のネックでした。しっかりとトレーニングができたうえで、しっかりと栄養もとるという、自分の力が最大限に発揮できる状態で試合に臨むことができなかったので」
とはいえ、「けがの巧妙」という言葉もある。予想しなかった逆境に身を置かざるをえなかったことで、成國は初戦からいつも以上のパフォーマンスで勝ち進んだ。
「逆境に強い? どうなんですかね(微笑)。本当に失うものが何もなかったので。あとは(所属するMTX GOLDKIDSでレスリングを教える)子どもたちのために闘うだけでした」
予選での最大のヤマ場は、成國が「出場選手の中で間違いなく一番強い」と断言する2020年アジア選手権優勝のイリャス・ベクムラトフ(ウズベキスタン=元ロシア)との3回戦だった。
本人の不安とは裏腹に。試合ではローリングなどであっという間に10点を奪いテクニカルフォール勝ちを収め、難なく準決勝に駒を進めた。
ベクムラトフ戦の勝因を聞くと、成國は「本当に何ですかね?」と首をひねるばかり。うなずくしかなかった。それほど成國の闘いぶりは神がかっており、理屈では表現できない強さを伴っていたからだ。
決勝では、全米大学(NCAA)選手権を3度も制しているというレザフォードからリンクルホールド(相手の股間に頭を入れてのアンクルホールド)一回転と、普通のアンクルホールド3回転を立て続けに決め、勝利の雄叫びをあげた。成國は「もうあそこしかチャンスはないと思いました」と振り返る。
「一気に仕留められて良かった。試合が長引いていたら、たぶん相手のペースになってしまい、負けていたかもしれない」
ワンチャンスを逃さない選択眼。それこそが成國躍進の原動力だったか。試合後はこの優勝を機に、フリースタイルからは一度離れ、「グレコローマンでの世界選手権優勝を目指す」と宣言した。「両スタイルで世界チャンピオンになろうと考えています」
大会前は、世界選手権で2度優勝している母・成國晶子さん(旧姓飯島)に対するコンプレックスを口にしていたが、優勝した現在は?
「僕はまだ1回の優勝。今回の優勝で少しは追いつけたかなと思います。グレコローマンで取らないと、母を追い越したことにならない」
米大リーグ、エンゼルスで活躍している大谷翔平選手のように、成國はレスリング界の二刀流を目指すか。