※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
昨年4月、レスリング部員が所属する学部が神奈川・平塚市から横浜市のキャンパスに移った神奈川大。レスリング部の拠点も東横線の白楽に移り、新たな飛躍を目指す元年が2021年度だった。そのスタート年に、現役学生としては部史上初の全日本チャンピオンが誕生。幸先いいスタートを切った。
快挙を達成したのは、女子72kg級の新倉すみれ(東京・安部学院高卒)。10月の全日本学生選手権(山口・周南市)では1年生チャンピオンに輝いており、そのことを考えれば驚くことではないかもしれない。
しかし、高校時代までに1度も全国チャンピオンの経験がなく、注目を浴びる選手ではなかったとなれば、「想定外の活躍」と言っても、失礼な表現ではないだろう。本人も「優勝できるとは思っていなかったんです」と笑う。
昨年の世界選手権のこの階級で優勝した古市雅子(自衛隊)が階級を下げた“幸運”はあった。5月の全日本選抜選手権での古市との対戦では、何もできないままフォール負けしていたのだから、古市がこの階級に出ていたら今回の栄光はなかったかもしれない。しかし、決勝の相手は2019年チャンピオンの進藤芽伊(クリナップ)。同年のU23世界選手権で3位入賞も果たし、2020年のシニアのアジア選手権2位にもなっている強豪だ。決して“運のよさ”で勝ち取った栄冠ではない。
進藤との決勝を振り返る。「組んだ瞬間、『強い選手だ』という気持ちになりました。とにかくポイントを取ることしか考えていませんでした」。勝つことを意識したのは、ラスト30秒くらいから。「リードしていたので、ここからは絶対に下がらない、と思いました」。
実績ある相手に対する「気後れ」については、「緊張していたので…」と首をひねった。気後れを感じることもないほどの緊張に襲われていたようだ。そんな中でも勝つことができたのは、「気持ちでしょうか…」と答えた。実績のほか、技術でも「勝てない」と思った相手だったので、「気持ちだけは負けないで、前に出ようと思いました。それが(相手の)パッシブとなり、有利に試合を進められたのかな、と思います」
気持ちと言えば、昨年4月のジュニアクイーンズカップで初めて「優勝」を経験したことも大きい。続く全日本選抜選手権でも2位となり、「学生相手に負けてしまっては駄目だ」という気持ちになって東日本学生選手権、全日本学生選手権と連覇。新倉は「勝ちぐせ」という言葉を使ったが、負けることを拒む気持ちが芽生えたことも、勝てた大きな要因だったと分析する。
高校までの新倉には“勝てなかった理由”が存在した。キャリアの差からくる“あきらめの気持ち”だ。陸上を経て、「元々あった」と言うパワーを生かすため中学2年生からレスリングを始めた新倉にとって、小学校低学年からレスリングに取り組んでいる選手とは、最初から「勝てない」と思えるだけの実力差があった。
「勝ちたい」という気持ちはあっても、「キャリアが違うんだから」という理由の前に、「何が何でも勝つ、という気持ちにはなれていなかった」と振り返る。
その気持ちに変化が出てきたのが、横須賀ジュニアのコーチの勧めもあって進学した東京・安部学院高での生活。寮もあって、意識の高い選手との集団生活の中でもまれ、「今は勝てなくても、最終学年になったときには絶対に勝つ、結果を出す、という気持ちになっていった」と言う。
しかし、3年生のときはコロナ禍で1大会も出場できずに終わってしまう不運。その気持ちをぶつけるため大学でも続けることを決め、学校が閉鎖されて自宅での生活を余儀なくされた期間でも、体力トレーニングをしっかり積んだ。それは、「しっかりやりました」と自信をもって言えるだけの内容だった。
自宅での個人練習というのは、内容が限られてしまうが、家が材木店で倉庫があったことが幸いした。ロープをつるしてのロープ昇りにも積極的に取り組み、引く力の養成に取り組んだ。ロープ昇りができるような自宅は、そうそうないだろう。広いスペースで、しっかりとトレーニングをこなしたと言う。
マット練習を積んで数多くの試合に出ることが必要な選手もいるだろうが、徹底した体力トレーニングが必要な選手もいる。新倉の場合は、コロナ禍による徹底した体力トレーニングが大きな転機となったのではないか。
それに磨きをかけたのが、神奈川大での男子選手相手が大半という練習だ。軽量級の選手であっても自分よりパワーがある。もちろんスピードも。やられることばかりだが、やっていくうちに、さらにパワーがつき、パワーに対抗する動きも身についていった。
「やられても、やられても、向かっていくんですよ」と言うのは、同大学の吉本収監督。その精神力を支えているのも、やはり体力なのだろう。パワーに、「負けられない」という精神力が加わった新倉が、4月のアジア選手権(モンゴル)を皮切りに、世界でどこまでできるか。
「国内の大会は、練習を含めて何度かやっている選手との試合になります。作戦も立てられると思いますけど、国際大会はそうではないですよね。たぶん、72kg級では小さい方だと思います。外国選手相手に、自分の力が通じるのかな、という不安があります」
国際大会は経験がないので、長時間のフライトを経て、食事も違う状況下での試合は初めてとなり、その面での不安もある。「世界選手権にも出たい」という思いを実現させるためにも、乗り越えなければならない壁。コロナ感染の再拡大で先行きが見通せない中、「女子選手相手を含めて、しっかり練習して臨みたい」と前を見据えた。