※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治)
今年4月の東京オリンピック・アジア予選(カザフスタン)の男子グレコローマン77㎏級で決勝まで進出し、屋比久翔平(ALSOK)は東京オリンピックの出場切符を勝ち取った。5年前、リオデジャネイロ・オリンピックのときにはアジア予選5位、世界予選10位で涙をのんだ。屋比久は「あの頃は勢いだけでやっていた」と振り返る。
「リオの直前は、初めて全日本選手権で優勝して、もうとりあえず前に出る、とりあえず相手を持ち上げて投げる、そういうことしか考えずにやっていた気がします」
リオデジャネイロには、練習パートナーとしても行っていない。レスリング競技の開催期間中は、ちょうど日本で合宿中。みなテレビでオリンピックを熱心に観戦していた。屋比久はその輪の中に加わろうとはしなかった。
「僕はあとから見たような感じですね。(リアルタイムでは)あまり見たくなかった」
見れば悔しさが込み上げてくることが分かっていたのか。後日、冷静に見返すと、様々な発見があった。「勝っている選手は、勢いだけではなく、圧力のかけ方が洗練されているというか、自分のパランスが崩れない技のかけ方をしている」
下半身の太さは、沖縄県出身者としては初めて全日本王者となった父・保さん(国士舘大OB)譲り。それが下半身のトレーニングを集中的にすることで鍛え上げられ、バランスが崩れにくい下半身の軸になったと考える。
「高校時代はタイヤを押したりする負荷トレーニングが中心で、バーベルなどを使った練習はしていなかった。そういうトレーニングをするようになったのは、大学に入ってからです。上半身のけがをしているとき、めちゃくちゃスクワットをしている時期があった。それも下半身をたくましくさせた要因だと思います」
屋比久に高校までレスリングを教えてくれた保さんからは、細かい技術は教わっていない。その代わり「前に出ろ」というレスリングの基本を骨の髄までたたき込まれた。
「父は前に出て相手に圧(力)をかけるということを最も大切にしていた。セコンドについても、ずっと『前に出ろ』と言っていたくらい」
アジア予選の決勝は、2018年アジア大会2位のアクジョル・マフムドフ(キルギス)に3-7で敗れた。この一戦の反省材料として屋比久はファーストコンタクトを挙げる。
「やっぱり、最初に自分の型で当たることが大事。自分がしっかりと力の入るポジションを取って闘わないと、あのときのように押し込まれてしまう。今は、まずはファーストコンタクトを意識して練習しています」。オリンピックで対戦する機会があれば、マフムドフにはリベンジしたいと願う。
オリンピックの第1シードで4度目のオリンピック出場となるタマス・ロエリンツ(ハンガリー)や第2シードのアレクサンドロス・ミチェル・ケッシディス(スウェーデン=元ギリシャ)にも辛酸をなめさせられた過去があるだけに、彼らとも再戦したいと希望する。
とりわけケッシディスには「もう一度!」という思いが強い。
「僕が勝っている流れの中で、安易な攻めをしたせいで逆転されてしまった。すごく悔しい思いをした試合だったので」
もう一人の男子グレコローマンの日本代表である60㎏級の文田健一郎(ミキハウス)は、華麗なそり投げを得意とする。屋比久は「健一郎と違い、自分は技が切れるタイプではない」と自認する。
「どんな形でも、最後に僕が1点上回っている状況を作りたい。父は『差しと押しが大事』と言っていましたね。前に出続けるスタミナは、今回出場する中でも一番。泥くさくてもいいので、そういう自分のレスリングを貫いてメダルを目指していきたい」
沖縄県出身として初のオリンピック・レスラーとなった男は、心身ともにいい感じで初のオリンピック本番を迎える。