※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
【8月5日(木)・6日(金)出場】
(文=渋谷淳)
2004年アテネ・オリンピックで女子が採用されて以来、55・53kg級で初めて吉田沙保里以外の選手が日の丸を胸にオリンピックのマットに立つ。吉田と同じ三重県出身、24歳の向田真優(ジェイテクト)だ。吉田はオリンピック3連覇を達成したあと、4度目の2016年リオデジャネイロ大会では銀メダルに泣いた。“失った”金メダルを日本に取り戻す-。それが向田に課せられたミッションである。
「自分は53㎏級でオリンピックを目指そうとずっと考えていた。沙保里さんが(2019年に)引退されて、沙保里さんと闘うことはなかったですけど、人間的にも尊敬している沙保里さんが闘っていた選手と闘えるのはうれしい。53㎏級で金メダルを取りたいという気持ちが強いので、この階級にこだわりました」
「ポスト吉田」という大きなプレッシャーのかかる立場を望んで引き受ける覚悟は立派だ。とはいえ、向田は全盛期の吉田のような圧倒的な強さを見せつけてきたわけではない。世界選手権の成績は2016年が金(55㎏級)、17年が銀(53㎏級)、18年が金(55㎏級)、そして東京オリンピック代表内定を決めた19年が銀(53㎏級)。優勝できる力はありながらも、時に勝ち切れないもどかしさが向田にはあった。
本人は、そんな自分のレスリングを次のように分析している。
「試合の前半はいけるんですけど、後半に相手の攻めを受けてしまい、相手の動きを見てしまうことが多い。負けた試合は動きがピタリと止まってしまう。そこが一番の改善点だと思います」
2020年2月のアジア選手権(インド)決勝で、8-0からまさかの逆転フォール負けを喫したのは、その象徴かもしれない。心身ともに苦しくなってくる終盤の競り合いに勝つためには、気持ちが重要であることはもちろん承知している。ただし、いたずらに精神論に走るのは危険だ。向田は冷静に現実を直視した上で、フィジカルの強化でこれを克服しようとした。
「自分の構えが浮いてしまうとか、プレッシャーをかけられたときに弱い部分がありました。押し負けないフィジカルの強さを手に入れる。低い体勢から押し上げるとか、そういうところをウエートレーニングで鍛えてきました」
構えが浮くとか、前に出られて押し込まれるとは、わずか数センチのことだろう。しかし、その数センチによって技を決められてしまったり、逆にこらえることができたりする。フィジカルを強化することにより失点を防ぐ。前半はポイントを取れるのだから、ディフェンスを強化すれば、おのずと勝利の確率は高まっていくことだろう。
向田がオリンピックを目指すようになったのは、父の淳史さんの影響が大きい。淳史さんはカヌーでオリンピックを目指してかなわず、その後は格闘技好きが高じてブラジリアン柔術の全日本選手権で準優勝するほどのアスリート。向田は父の果たせなかった夢を託される形で、5歳でレスリングを始めた。
こう書くと、「父に言われるがまま」というイメージを抱きがちだが、「人に言われて決めるタイプではない」と言うように、常に自分で考え、レスリング人生を切り開いてきた。
中学で親元を離れて上京し、JOCエリートアカデミーの門をたたいた。世界カデット選手権連覇などの成績を残したのち、至学館大に進学して周囲を驚かせた。アカデミーの先輩は首都圏の大学へ進んでいたからだ。本人いわく、「ライバル校に乗り込むようで、すごく勇気がいりました」。普通だったらくじけるような選択だが、「オリンピックに行くには、それが一番の近道だと思いました」と理由は明快だ。
卒業後は再び拠点を東京に移した。志土地翔大コーチとの婚約を含め、自分でこうと信じたことは周囲の声に惑わされることなく、ぶれずに実行する。そうした芯の強さが向田の強みと言えるだろう。
53㎏級は激戦のクラス。最大の難敵とみられたパク・ヨンミ(北朝鮮)は出場しないものの、金メダル争いは混沌としている。それでも向田は「相手がだれとかではなく、一つ一つ集中して自分のレスリングをやって金メダルを取りたい」と、真っ直ぐに前を見る。
己の信じた道を貫き通せば、自ずと栄冠は見えてくる。