※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治)
カザフスタン・アルマトイで開催されたアジア選手権でも圧倒的な強さを見せ、女子62㎏級を制した2019年世界チャンピオンのアイスルー・チニベコワ(キルギス)。2018年アジア大会(インドネシア)を含めると、これで通算4回目のアジアの女王となった。
大会の直前になって日本チームが派遣を取りやめたため、“ライバル”川井友香子(ジャパンビバレッジ)との4度目の対決は流れてしまったが、アイスルーは東京オリンピックでの対決を熱望している。
「私は2009年からレスリングを始めました。キャリアは12年ということになりますね」
初めてマットに上がったのは16歳のときだった。それ以前はバスケットボールや陸上競技をやっていたという。「レスリングをやる前は、1年間だけ空手をやっていました」
なぜ空手からレスリングに?
「家庭が裕福ではなかったので、一家の暮らし向きをよくしようと思っていた矢先にレスリングを見つけたからです。空手をやるためには月謝を払わなければいけませんでした。そこで私はカフェでアルバイトをしていました。空手とは対照的にレスリングは月謝が無料だったし、国際大会で結果を残せば報奨金ももらえる。遠征費も全部負担してくれるということだったので、私にとっては都合がよかったのです」
アイスルーの傍らにいたキルギスの女子ヘッドコーチ、ノルベ・イザベコフ氏は、東京オリンピックで彼女が金メダルを取ったときの報奨金の話を具体的にしてくれた。
「わが国で世界チャンピオンはアイスルーだけですからね。これまでの報奨金は(日本円に換算して)300万円から500万円くらいでした。東京オリンピックで優勝したら1000万円は出るでしょう」
もっとも、レスリングをやり始めた当初、アイスルーはレスリングに面白みを感じなかったと打ち明ける。「正直、あまりやりたくなかったですね(苦笑)。でも、2019年に世界チャンピオンになったことで、生活水準がガラリと変わりました。国から報奨金が出たうえに、給料ももらえるようになった。しかも、キルギスでは有名人になった。本当に面白くなったのはそれからです」
キルギスの正式な国名はキルギス共和国。かつてはキルギスタンと呼ばれていた中央アジアに位置する人口645万人ほどの小国だ。プロボクシングでは、世界チャンピオンにまでなったビタリーとウラジーミルのクリチコ兄弟が有名だが、オリンピック・スポーツの世界チャンピオンは皆無。
だからこそ、アイスルーが世界一になると、国をあげての大騒ぎとなった。「町を歩いていたら、写真撮影やサインを求められるようになりました」
川井友香子と闘う前は、伊調馨と2015年アジア選手権(カタール)と2016年「ポーランド国際大会」で2度対戦した経験がある。いずれも伊調が勝利を収めているが、「ポーランド国際大会」のときにはどちらが勝ってもおかしくないほどのクロスゲームだった(最後は4-7)。
アイスルーは「伊調選手は憧れのレスラー」と打ち明ける。「初めて伊調選手の試合を見たとき、無失点で勝ち上がっていったので驚きました。どうやったら伊調選手のようになれるのかと思い、動きを真似したりしていましたね」
現在は川井友香子に照準を定める。通算戦績では2勝1敗とアイスルーが勝ち越している。東京オリンピックで4度目の対決が実現したら?
「フフッ…。もちろん私が勝ちたい。それだけの準備をするつもりです。きっと、彼女もそう思っているでしょう。それがレスリングの面白さなんじゃないかしら。日本の選手はよく攻めてくるので、次もアクティブな試合になるでしょうね」
ただ、オリンピックの金メダルを有終の美にするつもりは、さらさらない。「レスリングを始めたのが遅いので、東京大会のあともチャンピオンになりたい。できるなら、そのあとのオリンピックでも、2回、金を狙いたい」
もうすぐ28歳。キルギスの英雄になっても、アイスルーはハングリーさを失っていないように見受けられた。