※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
【アルマトイ(カザフスタン)、文=布施鋼治/撮影=保高幸子<UWW>】「大きな国際大会での初めての優勝だったので、大きな自信につながりました」
4月18日、アジア選手権最終日。男子フリースタイル125kg級で優勝したオレッグ・ボルチン(カザフスタン=新日本プロレス職、山梨学院大卒)は、大会翌日、流暢な日本語で激闘を振り返った。試合の大半は逆転勝ち。1回戦のモンゴルで戦は3-2で競り勝った。
「ラスト20秒まで俺が負けていた。でも、『絶対タックルに入れる』と思っていた」
キルギスとの決勝も、ラスト16秒で逆転に成功した。その原動力は何だったのか。「みんなが応援してくれたからね。地元の大会だったから力も出た。最後はスタミナ勝負。相手が諦めるまで闘い続けました」
優勝した直後、ボルチンのSNSには日本からの祝福メッセージも数えきれないほど届いた。「ビックリするくらい、たくさん届きました。その中には高田先生(裕司=山梨学院大前監督)や新日本プロレスの永田(裕志)さんからのメールもありました。みんなすごく喜んでくれたので、それが一番うれしかった」
もちろん山梨学院大在学時、ともに汗を流した親友・高橋侑希からのメッセージも。「特に高橋と初見智徳(4年生の時の主将)とは仲がいいんですよ」
19歳から長期滞在した日本。周囲は「通訳は来日3年目からいらなくなった。それくらい日本語がうまくなった」と証言する。日本語はどうやって学んだのかと水を向けると、ボルチンは「覚えていない」と微笑を浮かべた。「でも、練習になると、いつも仲間と一緒に話す。チームのおかげで、すぐ覚えられたんだと思います」
そんな日本には昨年8月以降、新型コロナウイルスの影響もあって戻っていない。ボルチンは「早く日本に帰りたい。本当に帰りたい」と心中を吐露した。
「日本とカザフスタン、どっちが故郷? すいません。故郷の意味をちょっと忘れてしまいました(微笑)。僕は日本の食事が大好き。うどん、ラーメン、牛丼、焼き肉…。早く食べたい」
久しぶりのカザフスタン滞在では強化合宿三昧だったという。「2週間やって2日間休み。その繰り返しでした。お正月前だけ2週間の休みがあったけど、前後はずっと合宿。本当に大変でした。でも、そのおかげで今回優勝することができた」
アジア予選では、同国のユスプ・バティルムルザエフが優勝してオリンピック出場枠を獲得している。最終的にカザフスタンの代表は6月8~13日に開催予定のポーランド国際大会の結果如何によって決まるもよう。「自分にも、まだ十分にチャンスはある。ポーランド国際大会でいい成績を出したら、たぶんプレーオフにもつれ込むでしょう」
奇しくも親友・高橋侑希も世界予選でファイナリストになれば、樋口黎(ミキハウス)とのプレーオフが濃厚。親友にも訪れたビッグチャンスにボルチンはエールを送る。「今回は高橋が応援してくれた。今度はお互い応援しましょう」
東京オリンピック後は、新日本プロレスでプロレスラーとしてデビューする青写真を描く。マスクも身体もレスリングテクニックも申し分ない。プロとしてのキャリアを積めば、60年代に活躍した“岩石男”ジョージ・ゴーティエンコのような本格派のプロレスラーになれるのではないか。
「カザフスタンにプロレスはない。日本ではプロレスとレスリングで頑張るつもりです」
日本でボルチンは頑張ることの大切さを学んだ。「レスリングは100%頑張らないと勝てない。頑張らないと自信を持てない。これからも自分にうそを言わないで、全力で頑張ります」
日本では学生時代に一回しか負けていないボルチン。ポーランド国際大会で好成績を収め、東京オリンピックにさらに一歩近づけるか。