※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
東京オリンピック出場の望みをかけ、階級を67kg級に上げて全日本選手権に挑んだ男子グレコローマン63kg級世界王者の太田忍(ALSOK)が、初戦(2回戦)で井ノ口崇之(自衛隊)の前に沈んだ。「(アジア予選で)出場枠は取れますよ」などと強気の発言を繰り返し、世界王者の貫禄を見せていたが、勝負の世界の厳しさは、世界チャンピオンの野望を打ち砕いた。
太田は、「やらかし…」と、独り言のようにつぶやきながら、報道陣の前に出てくれた。途中、スタッフが「最後の質問」と打ち切ろうとすると、「僕、答えられますよ。もう皆さんの前に出ることはないと思うので」と制し、時に涙を浮かべながらも、多くの記者の質問に時間を割き、ていねいに向き合ってくれた。(構成=布施鋼治、撮影=矢吹建夫)
──今の気持ちは?
「勝つための準備をしっかりしてきた。最初は投げの失敗で、コーションがなぜついたのか分からないけど、てんぱってしまった。最後の投げは完璧に狙われた。全部カウンターだったから、「やられた」という感じしかしない。相手の技にやられたというより、自分が焦ってやられてしまったな、という感じ。次の試合の高橋(昭五)と闘うことだけを考えすぎたかな…」
──階級を上げての挑戦でしたが。
「全日本選抜選手権が終わったあと、60kg級での可能性は本当にないと思っていた。(世界選手権は)63㎏級で優勝することだけを考えてやってきました。60kg級の代表が決まってしまったので、67kg級で目指した。段階を踏んで準備してきました。(井ノ口は)スパーリングでは1点も取られたことがないし、負ける要素がない相手だった。自分がちゃんとできなかったら負けた」
──終了のブザーがなった瞬間の気持ちは?
「投げられてフォールの体勢にもっていかれた時、『もう0-8だから、自分の技につなげないと終わってしまう』と思っていました。どういう逃げ方をすれば試合を続けられるのか、どうやって続ける展開にしようか、ということを考えていました。相手も経験のある選手なので、無理をしないで離れてきた。『ああ、こんな終わり方もするんだな』と思いました。1回戦負けなんか、たぶん人生の中で経験したことがない」
──オリンピックへの思いは?
「オリンピックで金メダルを取るのが僕の目標…。東京オリンピックの『ト』の字もない。階級をアップして臨むにあたって、協力してくれた人、トレーニングをしてくれた人とか、練習拠点とさせてくれた日体大の監督、コーチなどスタッフの方々にも申し訳ないとうい気持ち。僕のために遠くから応援に来てくれた人もいた。僕はその人たちのために東京オリンピックで金メダルを絶対に取りたいと思っていた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。今は本当に(気持ちの)整理がつかないというか、何から考えていいのか自分に関してはわからない状況です」
──階級の差は感じた?
「いや。ロシアにも行かせてもらい、世界2位の選手とかとやらせてもらって、差は感じなくなっていた。今日の試合も相手はバテバテだった。僕は、終わってすぐインタビューに答えて、余裕があるくらい。自分は67kg級で闘える体を作ってきた。階級変更の差は感じなかった。負けてしまったのは、心の中に『勝てるだろう、大丈夫だろう』というすきがあって、ああいう技がかってしまったから。階級の差というより、自分の気持ちの余計な部分が出てしまった試合だったと思います」
──67kg級に上げると決めて挑戦してきた日々に関しての後悔は?
「後悔はないです(きっぱりと)。僕は東京オリンピックでの金メダルを目指してこの階級に変えたわけで、間違いなく優勝すると思っていた。この試合に関しての後悔はすごくあるけど、67kg級に変更した選択に関しての後悔は何もない。時間がなかったとは思わない。体も仕上がっていた。攻める気持ちが前に出すぎた。準備期間が短かったというのは言い訳にしかならない」
──まだ気持ちの整理がつかないと言っていましたが、今後のことは?
「何をするかも分からない。東京オリンピックは、もう目指せない。レスリングに関していえば、何も考えられない。続けるにしろ、やめて違うことをするにしろ、自分だけで決めていいことではないと思う。お世話になった人の数が多く、僕だけで判断していいとは思わない。いろいろな人と話をして、しっかりと時間をとって考えたい」。
──文田とのライバル物語がありました。彼に対しては?
「僕の口からは、『頑張れよ』と言うこと自体が申し訳ないくらいの結果だった。僕が言わなくとも、彼は本当に100パーセント頑張るし、東京で金メダルを取ってくれると思う。彼が世界チャンピオンになった時、『一緒に金メダルを取りたい』と言ってくれたことがすごくうれしくて、僕もそれを達成したいと思ってやってきた。こんな形でオリンピックにすら出場できなくなり、言ってくれたことを果たせなかった。情けない。それだけですね」
──グレコローマンのワールドカップがなくなって(イランのデモ発生によって中止)、67kg級での実戦がなかったことも、敗因に挙げられるのでは?
「ないです。ロシア遠征に行かせてもらって、練習試合も5~6試合した。日本でスパーリングをやっている以上の練習ができた。ワールドカップで5~6試合くらいやったくらいの試合感覚をつかめたと思っている」
──今日の試合前の緊張感は、今までの全日本選手権とは違っていた?
「リラックスして臨めた。でも体は緊張していたのか、一睡もしないで朝を迎えた。計量が終わってから試合までに2時間くらい寝たという感じだった。思った以上に体は緊張していたのかもしれない。頭は緊張していなかったけど」
── 一睡もできなかったのは?
「初めてです。こんなことは今までなかった。こんなこともあるんだなと思いました」