※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
イラン人が代表を務めるキッズ・クラブが2つ存在するなど、日本レスリング界とつながりが深いイラン。全日本マスターズ選手権でもイラン選手が活躍した。D(51~55歳)70kg級に出場したサヘビ・モハラムさん(54歳=埼玉・アカデミア・アーザ)。
2回勝ったあとの準決勝で、国士舘大時代にアジア選手権に出場したこともある山下勝さん(石川・志賀高教)に敗れて銅メダルに終わったが、「自分の一番好きなスポーツがレスリングです。今も頑張ってやっています。来年までもっと頑張り、結果を出します」と話し、今後も選手活動を続ける予定だ。
イランでは、子供の頃はサッカーに熱中し、11歳からレスリングを始めた。引っ越したことで辞めてしまったあと、16歳の時に故郷に戻って再開。県の大会で何度か優勝し、空軍に入ってからもシニアの軍隊大会で優勝の経験があるという。
のちに世界有数のグレコローマン王国となったイランだが、1990年代は時々強豪が出る程度だった。しかし、モハラムさんはグレコローマンをやっていたという。「ボクの街は、ほとんどがグレコローマンでした。いいコーチもいました」と言うから、グレコローマンの方が盛んな地域もあったようだ。
したがって、今も出てくるのはグレコローマンの技。今大会でも巻き投げを果敢に仕掛け、何度か成功してポイントを取っていた。「私の得意技でした」とのことだが、3回目の出場ともなると研究もされており、最後に闘った山下さんからは、明らかに警戒されていたという。
「フリースタイルは離れて闘うことが多いので、仕掛けるのは難しいですね」と話す一方、「この技に磨きをかければ…」と、今後の必殺技として高めていく腹積もりだ。
日本に来たのは、イランの経済に先が見えなくなったため。埼玉・本庄市に住んでおり、同市出身でSKキッズ代表の吉澤昌さん(日本ジュニアサンボ連盟会長)が帰省し、市内にある格闘技ジムで練習していた時に出会ったことが今につながっている。吉澤さんがSKキッズと併せて都内で運営している格闘技ジム「アカデミア・アーザ」の本庄支部開設にあたり、キッズレスリング・クラスのコーチとして招へい。これと前後して日本でもレスリングをやり始め、試合に出るようになった。
「4年前から試合に出始めて、出場するのは3回目。今回は3年前の成績を越えられなかったですが、試合に出る度に自信がついてきて、もっと練習していい成績を残したいと思うようになりますね」。レスリング活動は再開したばかり。「優勝」を目標に、しばらくは続けることになりそうだ。
日本在住のイラン人としてキッズ・クラブを運営している「市川コシティクラブ」のエスファンジャーニ・ジャボさんと、「イラン・レスリングクラブ」のガレダギ・シャハラムさんとは顔馴染みで、異国で頑張る仲間がいることは心強い限り。3人とも東京オリンピックでのイラン選手の活躍を楽しみにしているそうで、その気持ちは自身の頑張りにもつながることは間違いあるまい。
あらゆる世代で“イラン旋風”が巻き起こりそうな日本レスリング界だ。