※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治、撮影=矢吹建夫) 中村倫也(博報堂DYスポーツ)
「去年のこの大会でも優勝しましたけど、話題は(オリンピックの出場を決めていた)樋口選手だったので、複雑な思いがありました。周囲から『優勝してもオリンピックには出ないんじゃないか』という指摘もあった。今回は堂々と『自分が日本一だ』と言えます。すがすがしさが全然違いますね」
リオデジャネイロで樋口がマットに上がり、メダルを手にした時、中村は病床にいた。右肩にできた良性の腫瘍、ガングリオンを除去する手術をしたためだ。
「2年くらい前からできていて、それが神経を圧迫していた。そのせいで筋肉が張って腕が上がらないこともあった。でも、専大レスリング部の主将に推されたので、途中で抜けるわけにはいかず、だまし、だましやっていました。手術が終わった日の深夜、右をつるした状態でテレビをつけたら(オリンピックの)レスリングをやっていたので、そのまま見ていました」
病院のベッドで樋口の快進撃を見て、中村は自信を膨らませた。「樋口選手がここまでできるんだったら、オレもオリンピックで行けるかも」。オリンピックの約3ヶ月前に行なわれた東日本学生リーグで、中村は樋口を下していたからだ。
プレーオフを制し、」応援席に実力をアピール
ガングリオンのせいで普通のマット練習ができない時期にも、工夫してふだんはできない練習をやるように努力した。それも、勝因のひとつと捉えている。「僕はタックルが強いけど、その身体の使い方や重心の位置なと、けがをしている時にしかできないことを専門のトレーナーの方からいろいろ学びました」
具体的には? 「手は動いているけど、実は肩甲骨は動いていない、といったところの機能改善をはかっていました。力が入っている時にはスピードを出せないのではなく、うまく両方出していけるような練習をしていました。そうしたら復帰後の練習では相手からポイントをとられることが減ってきたんですよ」
今年4月には博報堂DYスポーツに入社し、同社の契約選手として競技活動に専念できる環境を整えた。世界選手権には専大の佐藤満ヘッドコーチの「心は熱く、頭は冷静に」という教えを胸に挑むつもりだ。
「今のままだと、樋口選手の方が世界で通じる技があるように思う。得意だったアンクルホールドも読まれるようになってきたので、もうひとつ得意技がほしいですね」-。