※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
河名真寿斗(専大)
全日本大学グレコローマン選手権は2階級上の71kg級での優勝という実力を見せ、今月初めの「デーブ・シュルツ国際大会」(米国)で優勝。4月からクリナップでレスリングに専念し、太田、文田の牙城に挑戦する。
■4歳から始めたレスリングだが、中学でブランク
河名は「シニアの国際大会で優勝したことを自信にし、この勢いを続けたいと思います」と国際大会初優勝の喜びを表したが、一方で「グレコローマンはやはりヨーロッパです。ヨーロッパの闘いで勝たないと、という気持ちです」とも話し、この優勝におごる気持ちはない。
2015年JOC杯で勝ち、初の全国タイトル獲得=撮影・矢吹建夫
レスリングは4歳の時から「東広島ジュニアレスリングスポーツ少年団」(深水真司代表)で始めた。4年生の時(2004年)に全国少年少女選手権26kg級で優勝。しかし、ご他聞にもれず中学ではレスリングに打ち込む環境がなく、陸上部に所属してレスリングは週末にやる状況だった。
三次高校に進んで再びレスリングの道へ。大きな理由は、「1年生の時のインターハイが石垣島であったことです。石垣島に行きたかったからです」と笑う。三次高校は部員も多く、学校対抗戦では確実にインターハイに行ける状況だった。その思いが実現し(自身もレギュラーとして出場し2戦2勝)、「楽しかった」と言う。
■大きな壁だった文田健一郎の牙城に肉薄!
NTS合宿で広島・三次高校時代の恩師、中森昭平監督と再会
3年生の時、大きな壁だったのが1年下の文田だ。JOC杯カデットを含めて3度の全国大会で闘い、3戦全敗。ポイントは1点も取れなかった。当時はピリオド制のルールだったが、今なら3度とも0-8のテクニカルフォールで負けていた実力差だっただろう。
その文田とは昨年2度闘い、全日本選抜選手権は2-7、全日本選手権は4-6という内容。4年の歳月をかけ、次は勝ってもおかしくない状況にまでやってきた。世界ジュニア選手権で3位に入ったことが、モチベーションが上がった大きな要因だという。
■河名真寿斗の対文田健一郎の対戦成績
年 | 大 会 名 | 階級 | 結 果 |
2016年 | 全日本選手権 | 59kg級 | ●4-6 |
2016年 | 全日本選抜選手権 | 59kg級 | ●2-7 |
2014年 | 全日本学生選手権 | 59kg級 | ●0-6 |
2014年 | JOC杯ジュニア | 60kg級 | ●0-4 |
2012年 | 国民体育大会 | 55kg級 | ●0-2(0-2,0-5) |
2012年 | 全国高校生グレコローマン選手権 | 55kg級 | ●0-2(0-4,0-4) |
2012年 | JOC杯カデット | 54kg級 | ●0-2(0-2,0-1) |
では、そこに至るまでには、どうやって気持ちを高めたのか。大学でもレスリングを続けようと思ったのは、「このままでは終わりたくない、という気持ちがありました。もっと強くなれるのではないかな、と思いました」。
■3月にグレコローマンの本場で修行
専大へ進んだ最初の年は新人選手権でも3位入賞はなく、壁を感じたとしても不思議ではない。「進学を機に55kg級から60kg級に上げまして(1年途中から59kg級)、勝てなくても仕方ない、という気持ちでした。」と振り返る。
NTS合宿で練習する河名
71kg級で大学王者に輝いたのは、選手が少ない分、上の階級の選手と練習することが多く、それが役立った。練習環境は整っていなくとも、それがプラスになることは多々ある。「出場していたのはフリースタイルの選手が多く、グレコローマンの専門家として負けられないという意地もありました」とも言う。
3月はグレコローマンの本場での修行だ。「ヨーロッパのシニアの選手と闘えることは楽しみです」と気持ちは乗っている。59kg級の選手としてパワーはある方だと自覚している。「パワーでは負けないと思います」と自信を見せる。
4月からは実質的なプロ選手。「学生時代は、負けても許される部分はあると思います。これからは、しっかり結果を出していかないとなりません」と話し、新天地での活躍を誓った。