※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫) 阪部創(自衛隊)
本来は75kg級の選手。今回の80kg級日本代表選考に際しては、上下の階級のトップ選手の中から、通常体重や練習環境なども含めて選考され、阪部に白羽の矢が立った。「9月の初めに打診がありました。自分の階級でないので、ちょっと驚きました」というが、せっかくのチャンスなので受けた。
「上の階級でしたが、世界選手権に出て結果を出せば、次につながると思いました」。全日本選手権への調整より世界での経験の方が貴重だと思った。「80kg級での闘いはきつい」という気持ちはまったくなく、「チャンスを生かしたい、自分の力を試したい」という気持ちだったという。
■スタンド中心となった現行ルールへの対応が課題のひとつ
上の階級で闘う厳しさは知っているが、決して手も足も出ない状況ではないことも感じている。10月の国民体育大会は85kg級に出場し(注=80kg級は実施せず)、全日本社会人選手権優勝の岡嶋勇也(当時拓大クラブ=現警視庁警察学校)、前年の国体王者の鶴巻宰(自衛隊)らを破って2位へ。
自衛隊入隊後の第1戦、全日本選抜選手権75kg級で優勝した阪部
では、現在の課題は? まず「第1ピリオドはよくても、第2ピリオドに動きが悪くなってしまう」というスタミナ面。さらに、「条件はみんな同じだから(勝てない)理由にはなりません」と口にしたものの、ルール変更への対応だ。「グラウンドが得意でした」という選手にとって、パーテールポジションの選択がなくなり、スタンド中心となったルールへの取り組みは、大きな課題となる。
事実、神奈川大3年生の時(2014年)に学生二冠(全日本学生選手権、全日本大学グレコローマン選手権)を制しながら、最終学年の昨年、全日本大学グレコローマン選手権を落としてしまったのは、この大会からU-23ルールとしてパーテールポジションの選択がなくなったことも遠からず原因した。
「(ルールが変わって)嫌だな、という気持ちがあったので、そのマイナスの気持ちが出てしまいました」と言う。これも、試合に出場してこそ見つかった反省材料。わずかのマイナス的な気持ちでも勝敗に影響する場合があるので、常に前を向いて闘わねばならない。「ルール変更のことは、言い訳にはしません」ときっぱり。
■復活を期す自衛隊の先陣を切って世界に挑戦
新ルールへの対応ができず、学生のタイトルを逃した2015年全日本大学グレコローマン選手権=撮影・保高幸子
しかし、自衛隊レスリング班自体はオリンピックに選手を送ることができないという初の屈辱を味わい、“非常事態”だった。入隊したばかりの阪部に責任はないと思われるが、「次は絶対に自分が出る、という気持ちにさせられました」と話し、今後の4年間、背負わねばならないものは軽くない。
しかし、同世代で期待を背負うべき選手も多く、一人だけにすべてがのしかかるわけではない。80kg級には、11月の全国社会人オープン選手権でレスリングのキャリア1年半でタイトルを獲得した逸材、鶴田峻大がいる(年は阪部が2歳上)。「あのキャリアで成績を残した。刺激になります」。自衛隊内での刺激と競争の中から世界で通じる実力を身につけ、自衛隊の復活につなげることが望まれる。
東京オリンピックまでの4年間は「短いでしょう。あっという間にやってくると思います」という。毎日が勝負。そして、一大会ごとが勝負。自衛隊の期待を背に、阪部が世界へ飛び立つ。
阪部創(さかべ・そう=自衛隊)
1993年10月19日生まれ、22歳。和歌山県出身。和歌山・紀北工高~神奈川大卒。高校時代は全国大会の上位入賞なし。2012年東日本学生秋季新人選手権74kg級で優勝して台頭し、2014年に75kg級で学生二冠王(全日本学生選手権、全日本大学グレコローマン選手権)へ。2015年も全日本学生選手権を制する。2016年全日本選抜選手権75kg級で初優勝。10月の国体は85kg級に出場して2位だった。178cm。 |