※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
銅メダル獲得の橋本葵選手(1・2年27kg級)と、あと一歩だった前島颯人選手(5・6年39kg級)
■少年少女の指導で一番大事なものは「絆(きずな)」
少年少女クラブの名称は、地名が入っているのが圧倒的に多く、続くのは創立者の名前が入っている名称。カタカナや横文字のチームもあるが、「マイスポーツ」、「GOLD KIDS」、「タイガーキッズ」など平易な英語の場合が多い。「BRAVE」(ブレーブ=勇者、勇ましい)は、小学生では分からない子が多いだろうが、かつてプロ野球に阪急ブレーブスというチームがあって、けっこうポピュラーな言葉だ。だが、「Lien」という言葉は一般的に馴染みがない。
英和辞典、または英和翻訳サイトで「Lien」と調べると、「抵当権」「先取特権」などと出てくるから、ますます意味が分からなくなる。それもそのはず。英語ではなく、フランス語の「Lien」をつけたのであり、「絆(きずな)」という意味。つながりを大事にすることを前面に出したクラブ名だ。
秋元浩一代表は、群馬・関東学園高~拓大でレスリングをやっており、高校時代の1988年に全日本ジュニア選手権、全国高校生グレコローマン、国体少年グレコローマンで優勝して世界ジュニア選手権にも出場した実力の持ち主。夫人が島根県の出身で、その縁で島根に移った。自らの体力維持のため体を動かしているうちに、キッズ選手の指導をすることになったという。
約20年の指導生活で感じたことが、「絆」の大切さ。「親と子、家族間、指導者と子…。結びつきがとても大事だと思います。最初に教えた選手は、今、30歳をすぎていますが、今もつきあいがあります。絆を大切にしていきたいと思い、(2年前の新クラブ創設の時に)その言葉をクラブ名に入れようと思いましたが、『絆レスリング・クラブ』ではちょっと変なので…」。
いくつかの国の言葉を調べると、フランス語で「Lien」という言葉があることが分かり、語呂がいいのでクラブの名称にしたという。クラブの“紋章”は3つの輪がつながっている図だ。現在の部員数は中学生を含めて13人。今年4月のジュニアクイーンズカップで橋本選手が優勝。初めて全国チャンピオンが誕生した。今後は全国少年少女選手権でのチャンピオン輩出が目標だ。
■渡利璃穏選手のオリンピック出場で燃えた島根県レスリング
この大会には秋元代表は参加できず、前島の父・幸浩さんが2人を引率しての参加となった。「クラブのモットーは『攻め勝つ』で、攻めるレスリングが目標です。代表は『世界一を取るような気持ちで取り組め』と言う一方、勝ち負けを越えたものを得られるような練習、試合をやることを望んでいます」とクラブの方針を説明した。
準決勝で奮戦する橋本葵選手
島根県には少年少女クラブが8つあり、時に他のクラブへの出げいこもするが、大会参加となると他の都府県へ出かけることが多い。今年は岡山県や愛媛県、大阪府などのほか、東京都、静岡県、三重県、中学生は茨城県など遠隔地もある。東京までは車で行くわけにはいかず、飛行機が普通。「早割を買えば安くいけます」とのことだが、取れなかった場合は、新幹線ではなく「夜行バスを使います」と苦笑い。地方クラブ共通の大変さがある。
今年は、島根県出身の渡利璃穏選手がリオデジャネイロ・オリンピックに出場し、県内の少年少女選手の刺激になっているという。前島さんはバレーボール経験者で、格闘技の経験はない。それでも「子供を通じて技をかけるタイミングや勝負の駆け引きとかが分かるようになり、やっとマットの外から声をかけられるまでになりました」と言う。
あと1勝でメダルを逃した前島選手は「負けたけど、やりたいことはできたので、そんなに悔いはないです。全国大会でも、そんなに差をつけられて負けたわけではないので、追い越せるように頑張りたい」と言う。銅メダルを手にした橋本選手は「今回は優勝を目指していましたけど駄目だったので、来週の吉田沙保里杯では絶対に優勝したいです」と、次の目標を見つめた。
一般的に「リエン」と読まれてしまうスペルだが、読み方は「リアン」。選手、指導者、保護者ほかの絆をもとに、レスリング界では「リアン」と普通に読まれる日がやってくるか。