※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子) オリンピックのマットに立った沖山功審判員(香川・香川中央高教)
最終日の全試合が終わった直後、初参加の沖山審判員は「とても緊張しました」と第一声。青がタックルに入り、赤が返して…など、レスリングではおなじみの動きでも、「どっちのポイントを挙げているか分からなくなるくらい。こんなのことは初めてでした」と、緊張したオリンピック・デビューを振り返った。
幾度となく国際大会で経験を積んでも、「世界選手権などとは全然雰囲気が違いました。選手の想いが違うからでしょうか。審判も緊張して1試合1試合を裁かなければと思いました」と感想を話した。
沖山審判員は39歳でA級審判を取得し、そこから審判員として実力をつけ、10年後にオリンピックの舞台で笛を吹いた。しかし、「担当した試合は1日の中で、ジャッジ2試合、レフェリーを2試合程度。レフェリーもない日が2日くらいありました」と出番は少なめだった。 誤審もなく、無事に終了
少々ほろ苦いオリンピック・デビューとなったが、沖山審判員は今回を糧に次を見据えている。「もう1度、しっかり勉強して、東京オリンピックを目指します。自分の教え子と一緒にその舞台に立って、ファイナル・セッションを担当したいです」。
今回は教え子との“共演”とはいかなかったが、その代わり、高校(茨城・霞ヶ浦高)の後輩、樋口黎(日体大)が初出場で銀メダルの成績を残してくれた。「高校の後輩で、自分と同じ軽量級。それを間近で見ることができた。完ぺきな試合展開で、審判の間でも『HIGUCHIが一番強かった』『あんな素質のある選手が、今までなぜ世界に出てこなかったんだ?』と話題になっていました」と話す。後輩・樋口の活躍は、先輩として鼻が高かったことだろう。
沖山審判員は、現在、全国高体連レスリング専門部の副審判長。国内の審判員の裾野を広げながら、4年後の東京大会出場を目標にレベル向上に力を尽くしていくことを誓った。