※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
チャレンジも実らず銀メダルに終わった樋口黎(日体大)。試合直後、顔を覆った
61kg級世界王者を含めて新旧世界王者が4人もひしめくことになった激戦のトーナメント。対する日本の樋口は、弱冠20歳とジュニアの年齢。肩書のある選手たちを倒さなければメダルがない中、初戦で2009・14年世界王者のヤン・ギョンイル(北朝鮮)に第2ピリオドで畳み掛ける攻撃でテクニカルフォール勝ち。準決勝は樋口が「高校生の時から知っている伝説の選手」と憧れだったハッサン・ラヒミ(イラン)を倒してメダルを確定させた。
■第2ピリオド途中までリードする展開だった決勝
決勝の相手は昨年王者のウラジミール・キンチェガシビリ(ジョージア)。第1ピリオド1-0でリードし、第2ピリオド、樋口のタックルで3-0とリード。金メダルに大きく前進したかに見えた。
だが、キンチェガシビリには世界での経験があった。樋口の高速タックルを紙一重で耐えるうちに、タイミングをはかったのか、第2ピリオドの樋口のタックルをがぶり返しで封じて2点。さらに、アクティブタイムを科せられた樋口が得点できず、あっという間に3-3の同点へ。このままのスコアなら、ラストポイントでキンチェガシビリの勝利となる。
終了間際、樋口の手首をがっちりつかみ、頭をつけて防御するキンチェガシビリ(赤)
世界王者に第2ピリオド途中までリードする展開だっただけに、金がすり抜けていった銀メダルとなり、樋口の表情に笑みはなかった。
後の祭りだが、樋口は「片足に入れたけど、テークダウンしないといけないと思ってしまった」と、2点技にこだわりすぎてしまった点を反省点に挙げた。外に押し出して1点ずつ積み重ねていたら、違った展開になっていたかもしれない。経験の差が出た試合だった。
「やっぱり1番じゃないとだめだと言い聞かせていたので、悔しい気持ちはたくさんあります。けれども、自分が持てる最大の武器は出しました。後悔はないです」。
■平均年齢25歳以上だったロンドンに比べて若手が活躍
4年前のロンドン・オリンピックの時、樋口は高校2年生だった。新潟市で行われたインターハイに出場して個人戦優勝を決めた。「漠然としていましたが、なんとかしてリオに出てメダルを獲りたい」。この志からわずか4年で本当に成し遂げてしまったのだから驚きだ。
1984年ロサンゼルス大会に19歳で銀メダルを獲得した赤石光生の記録こそ敗れなかったが、樋口や22歳でグレコローマンの銀メダルを獲得した太田忍(ALSOK)の若手がメダルを獲ったことは、近年の日本レスリング界では珍しいことだった。
チャレンジし、最後の相手の反則を訴える日本陣営
4年後にオリンピック開催を控える日本にとって、今回はメダルの伝統を守りつつ、4年後を見据えた闘いがどうできるかが焦点だった。一時は、実績がなくても経験を積むために若手を代表に、という案が浮上したほど若手育成が課題だった。
今回のメダリストは、4連覇を決めた伊調馨以外は全員が23歳以下。4年後は選手生活のピークを迎える選手がメダリストになったのは大きな収穫だった。2008年北京大会で銀メダルだった松永共広・日本協会専任コーチは、「僕は28歳で銀メダルだった。それを20歳でやりとげたことはすごい」と樋口のポテンシャルに舌を巻いた。
■和田貴広強化委員長が「あんな20歳見たことない」と舌を巻いた20歳
和田貴広強化委員長も「あんな20歳見たことない。これだけのプレッシャーの中、淡々と練習し、浮き足立つこともない。東京に必ずつながる」と若手の飛躍に期待を寄せた。
「僕の高校生の世代は、史上最強世代と言われています。その第一弾として僕がオリンピックに出て、世界に通用する闘いができた。リオでも金メダルを狙っていたけど、東京で(今回よりも)いい結果を出すステップでもあります」。
銀以上の結果は金しかない。4年後に向けて樋口が課題に挙げるのは、練習以外のこと。「練習することは努力だと思わない。レスリングが好きだから。けれども、食事などは…。今回の減量では気が狂うかと思いました」と、食事の面ではいつも周囲に世話を焼かせている。
お菓子好きなキャラもすっかり定着し、「1週間は好きなものを食べます。マカロンが食べたい」と最後はごく普通の大学生の顔をのぞかせ、マスコミ陣を笑わせた。東京オリンピックに向けて日本のお家芸を守るのは、この樋口黎か―。