※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
昨年の世界選手権王者を破った井上智裕(三恵海運)
“グレコローマン消滅の危機”――。昨年9月、リオデジャネイロの第1次予選を兼ねた世界選手権(ラスベガス)で、男子はメダル「0」、出場枠「0」と惨敗した。特にグレコローマンは8階級のほとんどが1回戦敗退となり、厳しい新聞記事の表現があった。
アジア予選で2枠を確保するも、史上最低の枠数だったことに変わりはない。「グレコローマン、大丈夫なのか?」と心配する声は絶えなかった。
そんな心配を吹き飛ばすかのように、初日の太田が初出場で銀メダル。西口茂樹・男子グレコローマン強化委員長(拓大教)は「井上の仕上がりもいい。期待できる」と、2人そろっての活躍に太鼓判を押していた。
■初戦の完敗に、敗者復活戦は「失うものは何もない」と発奮
満を持して初戦のマットにあがった井上は、2014年の世界王者ダボール・ステファネク(セルビア)と対戦。序盤にパッシブをとられてグラウンドに持ちこまれると、がぶり返し3発でテクニカルフォール負け。試合時間2分7秒と、あっけない試合だった。
終了間際、世界王者からテークダウンを奪って逆転
このチャンスに、井上は「1回戦は何もできなくて終わった。もう失うものは何もない。相手の得意技を防いで、(攻撃の)ワンチャンスをものにすることだけを考えた」と、敗者復活戦の相手が現役の世界王者のフランク・スタエブラー(ドイツ)だろうが、心がひるむことはなく、自分の力を出し切ることだけに集中した。
試合は、井上の狙い通りロースコアで1、2点を争う展開に。終盤、ミスで場外に出てしまい、2度目のパッシブと合わせて0-2とリードされたが、残り30秒、ゾーン際に追い込んでからのこん身の胴タックルでテークダウンを奪った。
最初は場外ポイントの1点という判定だったが、セコンドの松本慎吾コーチ(日体大監督)が素早くチャレンジを申請。ビデオ判定の結果、2点に修正されて残り20秒で2-2となり、ビッグポイント差での逆転勝ちだった。
■紙一重の勝負だった3位決定戦
銅メダルマッチは、世界選手権7位のシュマギ・ボルクバーゼ(ジョージア)と対戦。互いにテクニカルポイントはなく、終盤まで拮抗(きっこう)した展開になったが、先に2度目のパッシブを受けたのは、非情にも井上だった。
西口強化委員長は「どちらが取られてもおかしくない状況。僅差の戦いだった」と話せば、松本コーチは「紙一重の勝負。最後、相手が少しだけ前に出る気持ちが強かった」と述懐。いずれも「勝たせてあげたかった」と、2人の世界王者との激闘の末につかんだメダルのチャンスを逃したことに悔しさをにじませた。
派手なポーズはなかったが、世界王者を破って拳を握りしめた
そこから一念発起し、三恵海運で”プロ選手”となり、昨年まで71kg級や75kg級で活躍。66kg級としては1年前まで強化選手のリストにも入っていない選手だった。そこから10kgに及ぶ減量を乗り越えてオリンピックのマットに立った苦労人だ。
「敗者復活と3位決定戦の時間が短くて、体力不足の課題が露呈してしまった。自分の力不足だった」と完敗を認めたが、5位入賞の結果には「世界王者にも勝てたし、順位的にはここまでこられたという気持ちもある。メダルは取れなかったけど、悔いはそこまで残っていない。力を出し切れました」と言い切った。
オリンピック代表に決定すると、2階級しか出られないというネガティブな見方を打ち消すかのような厳しい全日本合宿で追い込まれた。「代表になってからの追い込みが半端なかった。けがする寸前まで練習した。けれども、それは間違いではなかった」。
選手とコーチ陣が背水の陣で臨んだオリンピック。メダルに届かなかった井上だが、2階級出場で「銀メダルと5位」という結果は、4階級で出場したロンドン大会を上回る結果に。日本のお家芸をグレコローマンがしっかりと繋ぐことができた井上の価値ある入賞だった。