※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治) トラブルで夕方にしかリオデジャネイロに到着できなくなった姉や恩師に、準決勝で勝って決勝進出でこたえた太田=撮影・保高幸子
弟に背中を後押しされたおかげで、理穂さんは迷いを断ち切ることができたと振り返る。「オリンピックを目指して、小さい時から弟と一緒にずっと練習してきた。オリンピックは家族全員の夢という想いもあった。でも、忍がそう言ってくれたおかげで、すっきりと線引きすることができた」
その時、忍は姉にもうひとつ約束している。「お父さんは、オレがオリンピックに連れていくから」。父・陽一さんは青森・八戸工大一高でレスリングの経験がある。忍と理穂さんに最初にレスリングを手ほどきしたのも陽一さんだった。
仕事(養鶏場)の関係で父のリオデジャネイロ行きはかなわぬ夢と終わったが、父の想いは、理穂さんや彼女と一緒にリオ入りした祖父・陽一郎さんら親族一同に託された。
「普通に応援してきてくれ」。それが父からの伝言だった。理穂さんはプレッシャーにならない程度に父の気持ちを弟に伝えられたんじゃないかと感じている。「今回は家族の想いというのがすごく強かった。それは忍も感じていると思う」
■ロンドン大会に続いて教え子が連続メダル獲得…恩師・勝村靖夫さん
そんな太田兄弟に本格的なレスリングを最初に教えた師、元八戸キッズ教室代表の勝村靖夫さんも、理穂さんらとともに決勝戦の直前に会場入りした。勝村さんらは、大会前日には到着している予定だったが、飛行機の不具合で関西国際空港に30時間以上も足止めを食ったと明かした。「機中のインターネットで結果はちょっと見ていました。決勝に残ったという報が入った時にはみんな大喜びでしたよ」 ロンドン大会に続き、決勝で闘う教え子を応援した勝村靖夫さん=撮影・布施鋼治
勝村さんが初めて太田を見たのは、八戸キッズ教室で指導をしていた時のこと。勝村さんは、その後、故郷の山口県に戻ったが、太田は中学を卒業すると師がレスリングを教える柳井学園高校へ進学した。勝村さんは、そのきっかけは山口県開催の国体が近かったからと明かした。
「当時の山口県はものすごく弱かったので、忍の力を借りたかったんですよ。よく練習していたので、キャリアを重ねるにつれそれ相応の実力がついてきたなと思いましたね」
勝村さんが太田に徹底的に課した練習──、それはスパーリングと走り込みによる息上げだった。「追い込んで走るという練習は、実戦の時に生きてくる。ポイントをとられた直後に力を出せるかどうか。それを彼はできる」。
教え子がオリンピックのメダリストになるのは、ロンドン大会の小原日登美(女子48kg級金メダル)に続いて2人目。「今回金を獲ってくれれば、教え子の2連覇ということになったけど…」と前置きしながら、勝村さんは太田の労をねぎらった。「よくやりましたよ。まだ太田は22歳。東京オリンピックを目指して、さらに精進してほしい」-。