※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子)
井上智裕(三恵海運)
日体大時代は無冠。卒業後は兵庫県の教員となり、指導のかたわら現役を続けていた。縁があって2013年から三恵海運に所属してプロ選手になり、そこから夢の舞台への出場権を手に入れた。
■理想のレスリングは攻撃一辺倒だが、現実はデフェンス重視で勝つ
2012年のロンドン・オリンピックへの挑戦と挫折を最後に現役生活に区切りをつけるはずだったが、その年の全日本選手権74kg級で優勝したことで、マットに上がり続けることに。階級変更後は71kg級の非オリンピック階級で力をつけ、リオデジャネイロへは減量して66kg級で勝負をかけた。
昨年の全日本選手権で優勝すると、3月のアジア予選(カザフスタン)でロンドン・オリンピック60kg級金メダリストのオミド・ノルージ(イラン)を倒して優勝。リオオリンピックの出場枠獲得と同時に、自身の日本代表内定も確定させた。 引退試合の可能性もあった2012年全日本選手権で優勝、運命が変わった
井上が描く理想のレスリングは、「太田(忍=59kg級代表)のように、スタンドでがんがん攻めて勝ちたいんですが…」と前置きしたうえで、「基本的にはディフェンス重視で、失点を抑えてパーテールポジションでワンチャンス狙おうと思います。カザフスタンのアジア予選と同じ形でできたら、本番でも勝つ確率は高くなると思います」と、ロースコアの展開で勝機を見出す予定だ。
今は、欧州対応として、ローリングのディフェンスに加えて、俵返しのディフェンスに力を入れている。「コツはつかみました」と手ごたえを感じている。
■日体大卒の父、そして弟は世界選手権出場というレスリング一家
井上はレスリング一家に生まれ育った。父の雅晴氏は日体大レスリングOB。4兄弟の長男以外はレスリングの道に進み、姉の夕起子さんは東京・安部学院高卒。弟で三男の貴尋さんは高校時代にインターハイ個人MVP、大学では日体大の主力メンバーとして活躍し、卒業後の2013年には世界選手権代表になったトップレスラーだ。
今大会、貴尋さんは国内予選で敗れただけに、次男・智裕のオリンピック出場は井上家にとっても悲願だった。けれども、「父はとてもシャイなので『おめでとう』という言葉はありませんでしたし、兄弟のテンションも普通でした。そういう家族なんです(笑)」と振り返る。 3月のアジア予選では、オリンピック出場権獲得に加えて国際大会初の優勝を飾る
オリンピックが決まると取材や壮行会で環境がガラッと変わることがある。けれども、井上は、これまでと変わらない様子だった。「自分の中での決めごとです。『調子には乗らない。大ごとは言わない』。調子に乗るとこけるタイプ。オリンピック出場はうれしいですけど、気持ちの変化はありません。友人から『雲の上の存在になっちゃったね』と言われたのですが、僕は何一つ変わっていないです」。
そのきっかけは高校時代にあった。「全国大会で優勝した次の大会で、初戦でフォール負けをしたことがあります。『自分はもう、チャンピオンなんだ』と思ってしまったことが負けた理由の一つでした」。
いつでもチャレンジャー精神で闘う。これを初志貫徹として競技を続けてきた。「相手が強い先輩でも、後輩や教え子と一見楽に勝てそうな相手でも、決して気を抜かない。これはオリンピックの舞台でも変わりません」。平常心で堅実なレスリングをリオデジャネイロでも貫き、メダル獲得を目指す。