※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(参考文献=米国「NPR」、L’UNIONほか) ハイチから初めてオリンピックに出場するレスリング選手、アスネージ・カストリー=提供・UWW
そのハイチから、8月のリオデジャネイロ・オリンピックのレスリング競技(男子フリースタイル74kg級)にワイルドカード(主催者推薦枠)で1人の選手が参加する。ハイチからレスリングに参加するのは史上初めて。米国マサチューセッツ州スプリングフィールド在住のアスネージ・カストリー選手(37)。地震からの復興もままならない同国の希望を背に、リオデジャネイロへ挑む。
■7歳から米国で生活、レスリングに出合う
ハイチ代表といっても、同国でレスリングは行われていない。カストリーは9歳の時、ハイチから米国ニュージャージー州に移住した。英語はまったく話せなかったため、それが原因で友達とけんかすることも多かった。
そんな時、テレビでオリンピックのレスリングを見た。テレビで見たレスリングは、若い男が取っ組み合いをしているが、お互いを傷つけ合うことはない闘いだった。カストリー「私はレスリングをやるべきだ。そうすれば、けんかをしなくなるだろう」と思い、レスリングを始めた。
その後、アメリカン・インターナショナル・スクールや米軍でレスリングを続け、現在はスプリングフィールドのクラブチーム、およびスプリングフィールド工業大学でコーチをやりつつ、自身の練習にも励んでいる。ハイチ・レスリング協会の唯一の役員であり、唯一の選手。
選手としてのカストリーのコーチは、プエルトリコの選手として2度のオリンピック(1992年バルセロナ、1996年アトランタ)に出場したアニバル・ニエベスが務めている。
37歳という年齢や、これまでの練習環境からして、オリンピックへの道はたやすいものではなかった。2005年から何度かパンアメリカン選手権に出場しているが、6位以内の入賞はなく、2015年に初出場した世界選手権は初戦で欧州大会王者のアニウアール・ゲデュエフ(ロシア)に第2ピリオドまでもつれる粘り見せながら、最後は0-11のテクニカルフォールで敗れた。
2015年世界選手権、アニウアール・ゲデュエフ(ロシア)戦 |
今年に入っての3度のオリンピック予選にも出場したが、パンアメリカン予選で5位、世界予選第1戦で24位、最終戦で18位。この時点で、オリンピックへ道は夢に終わった。
■ハイチのスポーツ界は88年間、オリンピックのメダルと無縁
ところが、世界レスリング連盟(UWW)はカストリーにワイルドカードでオリンピック行きのキップを与えた。理由は明示されていないが、レスリング未開の国の選手ながら、世界選手権を合わせて4度のオリンピック予選に出場したことを評価されたことは間違いあるまい。同国レスリング史上初のオリンピック選手として、晴れてオリンピックのマットに立つことになった。
「UWWから『あなたにワイルドカードを与えます』というメールを受け取った時、私は信じられずに、何度もチェックしました」。カストリーの次の悩みは、強化するためのお金がなかったこと。そこでネットを通じて寄付を求めた。カナダ、スペイン、キューバへの遠征を希望していたが、今月25日に行われたカナダ・カップに出場していないので、うまく集まってはいないようだ。
また、母国にレスリングというものが存在しないのだから、ハイチ・オリンピック委員会を説得することも大変だったという。
いくつもの難関を乗り越えてのオリンピック出場。地震からの復興を目指す同国に力強い希望を与えることができるか。ちなみに、同国がオリンピックでメダルを取ったのは、1924年パリ大会の射撃ライフル団体の銅メダルと、1928年アムステルダム大会の陸上・男子走り幅跳びのシルヴィオ・カトールの銀メダル1個の計2個だけ。
カストリーはリオデジャネイロ・オリンピックに出場したあと、故郷のハイチへ戻り、自分がそうだったように、レスリングを通じて青少年の育成に努める夢を持っている。「2020年までには学校規模のレスリングチームをつくりたい」と話している。
ハイチ地震の時は、日本から物資援助のほか、医療チームや自衛隊を派遣して復旧・復興の支援を行っている。日本とも無縁の国ではない。国の復興とともに、レスリングが力強く根づくことを願うばかりだ。