※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=増渕由気子) 藤井雅人部長の胴上げ
2010年アジア大会銀メダリストの長島和幸総監督はこの日、家庭の都合で欠席し、試合のセコンドに就くことはできなかったが、福岡へ戻って来た選手たちをあたたかく迎え、ねぎらいの言葉をかけたという。
15年ぶりの優勝に、長島総監督は「4月のJOC杯で田代拓海がフリースタイル55kg級で優勝して全国大会のタイトルを獲りました。それでチームに勢いがついたことが大きいです」と振り返る。2年生が世界ジュニア選手権の代表内定をもらったことで上級生たちが活気づけられ、チーム一丸となったことが勝因だったようだ。
■86kg級の“主将対決”で同志社大を下す
勝負のハイライトになったのは、初日の同志社大戦。チームスコア3-3で両チームともに譲らず、最終戦となった86kg級は、福岡大が花山尚生、同志社大は榎本凌太と、奇しくも主将同士の対決となり、最終決着にふさわしい大一番となった。
試合は花山がリードを許した展開となったが、残り1分を諦めなかった。「1-2とされたところで、みんな榎本の勝ちだと思ったと思います。けれども、このままじゃ終われない。最後まであきらめずにやってみようと思った」と、榎本が胴タックルに来たところに首投げを合わせると、そのまま逆転のフォール勝ち。劇的な勝利で主将対決を制し、同志社大の4連覇に待ったをかけた。
チームスコア3-3で勝負が回る―。これは花山にとって2度目のことだった。「去年の秋季リーグ戦の同志社大戦も3-3となり、74kg級の私に勝負が回ってきました。これで勝てば1位でグループ優勝ができる状況だったのに、同志社の田辺雄史(当時1年)に負けてしまったのです」。
福岡大の優勝を決めた菅原
花山の兄は、昨年の男子グレコローマン71kg級世界選手権代表の花山和寛(自衛隊)。花山は「兄の活躍はうれしかったし、兄のおかげで私も高い目標をもってレスリングをやれている。2年生でインカレ上位に入れていたのに、去年は全然ダメだった。今回のリーグ戦でキャプテンとして役割を果たさないといけないと思った。兄の活躍にひっぱられて、自分も頑張ることができた」と打ち明けた。
長島和幸総監督は「花山は最上級生としてやることをやってきた。勉強、就職活動、そしてレスリング。3つすべて頑張っていたので、花山が勝ったと連絡を受けた時、やはりなと思った」と、試合前から花山の成長には手ごたえをつかんでいたようだ。
■初日の同志社に勝って油断しなかった福岡大
長島総監督は不在でも、福岡大には頼もしいコーチ陣が多数いる。今回セコンドに入ったのは、オリンピック2大会連続出場の池松和彦監督だった。勝って兜(かぶと)の緒を締めるごとく、初日の同志社の勝利におごらず、大会最終日の朝は試合前に体育館周りをランニングさせて、気持ちを集中させた。
優勝は15年ほど遠ざかった福岡大だが、グループ優勝は15年の間に4回もある。同志社に勝って油断して、決勝戦で足元をすくわれてしまったら元も子もない。ランニングで気持ちを高めた選手たちは、最終日の予選3回戦で日本文理大に6-1と大勝すると、決勝の中京学院大では、70kg級、65kg級と連勝し、125kg級の執行優大が中京学院大の重量級エース、藤田悠矢に勝利して3連勝。4勝目は4番手の74kg級・菅原翔太が完勝し優勝を決めた。
池松監督は「出来すぎ」と決勝の大勝ぶりにびっくりした様子だったが、すぐに厳しい顔になり、「5月末の全日本選抜選手権にチームから7人出場する。最終的に、全員が全国大会に出られるようになりたい」と、リーグ戦優勝をステップに、さらなる飛躍を口にした。
福岡大は2013年春まで元世界チャンピオンの田中忠道部長のもとで活動を行ってきた。長島和幸らをコーチに迎え、これからという時に逝去された。長島総監督は「福岡大に赴任が決まった時、田中部長に『これで安心だ』と言われました。今回優勝できたことで、いい報告ができます」とホッとした様子。学生たちも、帰りのバスでは田中元部長との思い出などで話が弾んだそうだ。
![]() 2010年アジア大会で銀メダルの長島和幸総監督。このあと、白血病に打ち勝った(撮影・保高幸子) |
![]() 2012年12月の全日本選手権で、白血病と闘う長島和幸総監督(当時コーチ)への支援を訴える故田中忠道部長(撮影・矢吹建夫) |