2016.04.30

【特集】「モンゴルで世界選手権を」…モンゴル協会・朝青龍会長が宣言!

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文=増渕由気子)

 リオデジャネイロ・オリンピックの予選は、モンゴルでの世界予選第1戦が終わり、5月6~8日にトルコ・イスタンブールで行われる世界予選最終戦を残すのみとなった。

 モンゴルで行われた初めての世界予選で、ひときわ目を引いたのは、大相撲で第68代横綱に君臨した朝青龍ことドルゴルスレン・スミヤバザル・モンゴル協会会長(以下、朝青龍会長)の姿だ。2013年にモンゴル協会の会長に就任し、協会の活動に貢献。様々な国際大会を開催し、今回、ついに世界予選を誘致し、大会を大成功に収めた。

■「地元の子供たちに夢を与えられた」…朝青龍会長

 日本での朝青龍会長の知名度は抜群だが、モンゴルでの人気もすごい。角界を引退してもモンゴル国民から愛されており、会場を歩くだけで観客が大騒ぎするほどだ。

 モンゴルにはモンゴル相撲という伝統競技があり、国内でも格闘技は認知度が高い。国内アマチュアスポーツは、柔道、ボクシング、レスリングの順に人気があるそうで、国民も好んで格闘技を見る風習がある。

 世界レスリング連盟(UWW)のネナド・ラロビッチ会長と朝青龍会長がセレモニーを行った時や、北京(金)、ロンドン(銀)とオリンピック2大会連続メダリストの柔道選手、ナイダン・ツブシンバヤルがゲストで登場した時は、会場が大歓声に包まれた。

 会場にかけつけた一般客は目の肥えたお客ばかり。モンゴル選手が出てくると大きな歓声があがるのは当然のことで、外国選手の技が展開されても大きなリアクションを行うなど、レスリング競技の関心度の高さをうかがわせた。

 朝青龍会長は「世界中から約80ヶ国の選手が集まり、オリンピックの資格を与える大会を開催できて、モンゴル・レスリング協会として光栄だと思っています。たくさんの選手が大勢来て、涙、感動ありのすごい闘いになっています。地元の子供たちにもいい夢が与えられたかなと思う」と、オリンピックに直結する試合を切り盛りできて満足そうに話し始めた。

■リオデジャネイロでの目標は「金2個」!

 モンゴルのレスリング勢力図は右肩上がりに更新中だ。ロンドン・オリンピックでは女子63kg級のバトチェチェグ・ソロンゾンボルドがモンゴル女子史上初のメダリストとなり、昨年の世界選手権(米国)では決勝で川井梨紗子(至学館大)を破って優勝。リオデジャネイロ・オリンピックの金メダルの本命選手として注目されている。

 さらに、世界中を驚かせたニューフェースがいる。今年1月のヤリギン国際大会(ロシア)で、オリンピック3連覇の伊調馨(ALSOK)をテクニカルフォールで下した女子58kg級のオーコン・プレブドルジだ。今後、どんな強豪選手が出てくるか分からない。

 モンゴルの女子チームは、48kg級と75kg級の出場枠がまだ獲得できていないが、今大会では両階級ともに準決勝で大接戦を演じた。強豪選手が抜けたトルコの最終予選に向けて、朝青龍会長は「ラストチャンスをぜひともつかんでほしい」と期待を寄せた。

 朝青龍会長はウランバートル自体が強化につながる要素を満たしていると自負する。山に囲まれて自然のトレーニングコースは多数ある。市街地自体が1300メートルの高地に位置して、体力をつけるには最高の環境だ。

 また国民が好んで食べ得る食事にも強さの秘密があるという。朝青龍会長は「アンバランスな食事も大切」と話す。モンゴルでは牛や羊を食べるが、ほとんどの食用家畜は放牧され、自然の草を食べて育つため、モンゴルの肉はとてつもなく栄養価が高いオーガニック肉として有名だ。

 その肉を主食として食べる選手たちの強さの源にもなっている。朝青龍会長は「リオでの目標は金メダル2つ!」ときっぱりと宣言した。

■アジアでより多くの国際大会を

 朝青龍会長は、アジア連盟の理事にも名を連ねている。「私はアジアで国際試合が少ないと思っています。もう少し国際試合を開催できるよう努めていきたい」。近年では、モンゴルで行われていた大会を「モンゴル・オープン」として国際化。昨年5月末には、「アサショウリュウ・カップ」というカデットの大会を初開催し、カザフスタン、韓国などの近隣6ヶ国が参加した。今年は5月初めに第2回大会が行われる予定で、今後も活性化をはかる。

 2014年のUWWの理事選挙で落選し、今年夏に再度出馬するかが注目されているが、今のところ「出馬しない」と見送ることが濃厚。だが、オリンピック予選を開催したたからには、モンゴル協会会長として次のステップを見据えている。「世界選手権をモンゴルでやりたい。世界の舞台を子供たちが見られるチャンスになります。できる限り実現させたいです」と、モンゴルを世界にアピールしていく青写真を描いていた。

(取材協力=河内健太郎氏)