※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子) 優勝が決まり、次の試合の最中に涙が止まらなかった野口勝監督
鹿屋中央は、初戦の八戸学院光星(青森)を7-0で破ると、3回戦で昨年2位の花咲徳栄(埼玉)を4-3で撃破。準々決勝で昨年3位の和歌山北(和歌山)、準決勝で飛龍(静岡)をそれぞれ6-1で破って決勝に進出した。
韮崎工の120kg級が不在のため6階級で行われた決勝は、九州王者と関東王者の激突となった。50kg級は韮崎工の稲葉海人、55kg級は鹿屋中央の齋藤一樹、60kg級は榊大夢、66kg級は安楽龍馬と中量級まで2勝2敗の五分の闘いだった。
120kg級が不戦勝の鹿屋中央は、2勝目を挙げたことで事実上の王手。74kg級の掛川修平が2-2で終盤に2コーションながら逃げ切って勝利。3勝目を挙げてチームの勝利を確定させると、鹿屋中央陣営からは歓喜の声。野口監督は感激の涙にくれ、選手同士は抱き合って喜びを爆発させた。
■けがで主力選手を欠くことなく大会に臨めた
鹿屋中央、初優勝――。セコンドについた野口勝監督にとっても、それは悲願達成だった。「父の代から日本一は悲願。やっと優勝できました」。野口監督が父の次夫・前監督の元で1995年に同校に入学したのが、鹿屋中央レスリング部の始まり。野口監督は史上2人目のインターハイ1年生王者に輝くなど、センセーショナルなデビューを飾ると、鹿屋中央は一躍注目の的となった。
その後も強豪選手を育て上げ、1999年や2000年には2年連続で学校対抗戦の決勝に駒を進めた。しかし、高校レスリング界の雄、霞ヶ浦(茨城)に敗れて準優勝止まり。全国制覇の夢は、7年前に次夫前監督から息子の勝監督へ引き継がれていた。 優勝直後の鹿屋中央ベンチ。後ろ向きのガッツポーズが野口監督
確かに、優勝候補に挙がった柏日体(千葉)や和歌山北は主力メンバーが計量失格やけがなどで欠くことになり、1階級少ないメンバーで闘った。決勝の相手、韮崎工も60kg級の矢部和希がひざのけがで2度も途中棄権するなど、チーム力を100パーセント発揮できない学校が目についた。
もう一つは、野口監督の熱心なスカウトにより、実績のある選手を多数獲得できたことだ。鏡隼翔主将は栃木県のキッズクラブ出身。そのほかにも千葉、福島、大阪出身の選手を獲得し、地元のキッズ選手と混合で育て上げた。野口監督は「これだけの選手を集めて、優勝できなかったら僕の責任」と必死に指導して仕上げてきたと言う。
野口監督はシーズン最初の大舞台での悲願達成に笑顔。春夏連覇については「もちろん狙います」と広島インターハイでの天下統一を視野に入れた。