2016.03.28

【全国高校選抜大会・特集】自腹でマット購入! 熱い情熱で2年連続インターハイを目指す…伊丹・井田敏徳監督

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文・撮影=増渕由気子)

 8月のリオデジャネイロ・オリンピックに、兵庫県出身の井上智裕(三恵海運)が代表に決定した。出場枠を獲得したアジア予選が行われてから約1週間後、高校の今シーズンの幕開けとなる全国高校選抜大会が開幕。学校対抗戦の兵庫県代表は2年連続で伊丹(兵庫)が出場し、2回戦で島原(長崎)に敗れたものの、1回戦で若狭東(福井)に6-1で勝ち、創部3年で初の全国大会初勝利を遂げた。

 昨年はインターハイの学校対抗戦も出場し、春夏で全国の舞台を踏んだ。だが、結果は、選抜は仙台城南(宮城)に3-4、インターハイは星城(愛知)に1-6と、ともに初戦で敗退した。全国の舞台を踏んだうれしさと同時に感じた全国の壁。今大会は、全国での1勝を目標にマットに上がった。

 50kg級の鈴木登太がフォール勝ちで流れを引き寄せると、55kg級から66kg級の今村有希まで3人連続テクニカルフォールで勝利を収めて4勝。悲願の全国初勝利を飾った。

 「団体1勝! ひとつ前進できました」と笑顔を見せるのは、伊丹に赴任して4年。レスリング部を創設して3年間、選手を基礎から指導してきた井田敏徳監督だ。「チーム力としては、昨年の方が上でした。先輩たちが成し遂げられなかったことを、今のチームが努力して勝利を手に入れたのです」。

 選手こそ7階級そろっているが、66kg級の今村以外は、中学時代、野球部や陸上部、中には吹奏楽部に所属していたレスリングの初心者ばかり。けれども、井田監督の底知れぬレスリングの情熱で生徒たちの実力は右肩上がりだ。

■強くなる選手は自主的に練習していた…母校・日体大

 井田監督は兵庫県神戸市出身。神戸西高でレスリングを始め、日体大に進学してグレコローマン76kg級で活躍した。卒業後は地元の高校で講師をやりながらレスリングも続け、国体などに出場していた。2001年の宮城国体ではグレコローマン84kg級で優勝している。

 転機になったのは30歳。中学の教員採用に受かり、伊丹市立荒牧中学校に赴任したことだ。周囲の協力もあり、赴任早々に、レスリング同好会を立ち上げることができた。5年間、全国中学選手権や全国中学選抜選手権にも選手を出場させ、兵庫県の高校に選手を送るなど、指導者としてやりがいのある日々を送った。

 しかし、何か物足りなさを感じていた。「中学は団体戦がありません。自分のチームを持って、学校対抗戦に出場したいと思いましたし、高校生を教えたいとい気持ちが強くなりました」。中学教員を辞め、伊丹市の教員となり、4年前に伊丹高校に赴任した。

 2年目からレスリング部を創設。在学生たちに声をかけて最初は4人、2年目は10人も入部した。初心者ばかりの生徒に対し、「どれだけ頑張ろうと思わせるかが自分の仕事」と誓った。

 伊丹高は普通科がメーンの学校で、偏差値は県内では真ん中くらい。「一つ教えたら、それにすぐ適応する能力はありますし、考える力もある」。兵庫県協会から貸与されているタブレットを使ってスパーリングを撮影し、その場で観て動きを確認させている。

 レスリング経験者の今村にビデオを見せて指示を仰ぐ選手もいるという。「私自身、日体大に進学させてもらい、オリンピックに行くような選手たちに混じって練習してきました。日体大では、練習は自分で進んでやる選手が多かった」と、自主的に練習や研究をして強くなる選手をたくさん見てきた。そのため、選手同士が自主的にビデオ研究などをしている姿は微笑ましく思えるようだ。

■自分はグレコローマン専門だったからフリースタイルは先生も日々勉強です

 井田監督も、生徒に負けじと指導方針を研究する毎日だ。「私はグレコローマンの選手でしたから、フリースタイルに関しては勉強する日々です。フリースタイルの質問をするのが恥ずかしくないんです」。全国大会では、試合に負けた後も、他校の先生たちと情報を交換したり、他のチームの試合を観て、練習のヒントをもらったりと大忙しだ。

 今大会、近畿ブロックから出場する団体チームの指導者にはグレコローマン出身の指導者が多いそうだ。「和歌山北の森下浩先生、京都八幡の浅井努先生など、6校中5校の先生が現役時代、グレコローマンを中心に活躍された監督です」。自分が分からない部分だから、とことんフリースタイルを研究して指導することが、功を奏しているのだろう。

 2度目の春の選抜で1勝を挙げた井田監督の目標は、今年の夏、インターハイに2年連続で出場し、2年連続春夏出場を果たすこと。その目標のためには、生徒たちが思う存分練習できる環境を作ることだと思った井田監督は一つの決断をした。「自腹で、レスリングマットを購入してしまいました!」

 これまで3組しか入れなかったマットから、12メートル四方のマットを常設し、全員が一度に練習できるようになった。「2年連続でインターハイに行くために、僕ができることを考えたら、マットを買うことでした。予算が降りることを待っていては、今の子たちは、卒業してしますから」。

 家族にも協力してもらい、自分の食事を減らすなどしてレスリング指導に私財をつぎ込んで迎えた春の選抜。1勝を挙げたこともうれしかったが、「地力のある、島原高と“レスリング”ができたことがよかった。もっとバラバラにされるかと思ったのに、少しやれたと思う」と内容も評価した井田監督。半年後の夏、広島インターハイで2年連続の出場を果たせるだろうか―。