※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
銀メダルを持って帰国した伊調馨(ALSOK)
伊調は「いい勉強になった。成長できるきっかけにしたい。4試合を闘い、4試合ともたくさんの課題が見つかった。いつも通り、その課題を克服したい」と、敗戦のショックを微塵も見せず、前を向いた第一声。最近取り組んでいる課題があり、それが克服できずにいるままに遠征がきてしまったそうで、「準備不足でした。反省しています。大会に臨むにあたっての姿勢に問題がありました」と言う。
課題とは、組み合って仕掛ける前の間合いで相手を崩し、攻撃の糸口をつかむレスリング。これまでは、課題としているレスリングが通じなくとも、後半は従来のレスリングを展開して修正し、勝利をもぎとってきたという。準決勝までの3試合もそうだったとのこと。
「決勝だけは修正できなかった。勝たなきゃ、という思いもなく、取れなかったらどう攻める、という気持ちにもなれなかった。こだわりが強すぎたというか、どうしても(取り組んでいることでポイントを)取りたい、という気持ちがあった。自分が自分じゃなくなっていて、自分を見失っていたのかもしれない」と振り返った。
だからといって、今研究している闘い方を放棄するつもりはない。「気持ちを貫いた自分をほめてやる、というのはおかしいけど…。そこまでこだわってやっているんだな、と思うと、ここであきらめるわけにはいかない。この壁を乗り越えれば、自分のレスリングはもっと強くなると思う。この壁をどうにかして乗り越えたい」と、つまずきを乗り越えて課題のスタイルの完成を目指すことを明言した。
ただ、「オリンピックは勝ちにこだわりたい」ときっぱり。「最初から勝つことにこだわれば、負けることはなかったのでは?」という問いに、「…。そうかもしれませんね」と控えめに答えた。
■悔しさがよみがえってくるから、銀メダルを「大事にします」と伊調!
全体的に、判定がモンゴルよりの、いわゆる“判官びいき”(ほうがんびいき=弱い者に同情し、肩を持ったり応援すること)だったことは確か。しかし、「円の中で取れば自分のポイントになる。場外際の攻防が多くて不利な判定はあったけど、しっかりポイントを取らなかった自分が悪い」と、厳しく振り返った。 早朝にもかかわらず、大勢の報道陣が成田空港を訪れた
試合後の伊調は「取り乱すことも、落ち込んでいることもなく、普通だった。我慢しているのかな、とも思ったが、そうではなさそうだった」と言う。翌日は出場選手の第2セコンドについてくれるなどチームの活動に尽力。「辛かったとは思うが、主将の役目をまっとうしてくれたことに感謝したい」と続けた。
相手ひいきの判定については、「確かにあったが、選手には『外国ではよくあること』と常に伝えている。それを前提に闘わなければならない」と、世界一のチームに求められる宿命を強調した。
伊調の2007年の黒星は不戦敗で、2003年は予選リーグでの負けだったため、ともに表彰台には登っていない。個人戦で2位の表彰台に登るのは2002年10月のアジア大会(韓国)以来。“指定席”を外れた感想を問われると、「何とも思いませんでした。表彰式の時も自分の試合を分析し、何が悪かったかを考えていました」とさらり。
銀メダルに対しても「こだわりない」と話したが、「見るたびに悔しさがよみがえってくると思うので、大事にしたい」と続けた。約13年3ヶ月ぶりの銀メダルが、リオデジャネイロ・オリンピックへ向けての値千“金”のメダルとなるか-。