※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫) 日本のお家芸の階級を制した樋口黎(日体大)
初日から波乱尽くしだった全日本選手権。ロンドン・オリンピックの後、森下史崇(ぼてぢゅう&Bum’s)と高橋侑希(山梨学院大)の2強時代だった57kg級にも大番狂わせの予兆はあった。樋口は「今回はリオの予選。地力と運を兼ね備えた人が勝ち上がると思ったので、どんな選手でも対応できるようにした」と、大物相手に真っ向勝負を挑んだ。
昨年は優勝候補の大穴として注目されたが、2回戦の高橋戦でリードを奪いながら、シングレットをつかんでしまい、これが3度目の警告となっての失格負け。今年6月の全日本選手権では偏食がたたって計量失格。それらを深く反省し、食生活の改善に取り組み、9月の和歌山国体で森下を破って初優勝。全日本制覇へ視界が開けてきた。
ところが、再び試練が訪れた。右手甲の骨折。トレーナーなどのサポートで全治3ヶ月という診断より回復は早かったが、「右手の筋肉がこわばって、握力が20kgほど落ちた」とフィジカル的な問題を抱えていた。「右手がうまく使えなくて、同級生にも勝てなくて泣いたりした」-。 右腕にテーピングしながら闘った樋口
■名前の由来は、時代を切り開く「黎明」
樋口のスタイルは、バックポイントを奪って連続アンクルホールドに持ちこむパターンが多かった。だが、「右手を痛めているため、あまりそれができなかった」と、右手に負担をかけず、ライバルたちから確実にポイントを獲る作戦を練り、組み手から腕取り、さらに崩して片足タックルに持ちこみ、そこからローリングで得点を重ねるスタイルへ。
それがぴたりとはまった。けがの”副作用”が樋口の攻撃パターンを倍増させるきっかけとなったようだ。
昨年王者の森下を倒し、今年の世界選手権代表の高橋も3回戦で敗れる波乱のトーナメント。それを制した樋口は「相手の対策をしっかりしてきた。優勝は夢のようというより、思い通りに勝てたと言う気持ちが強い」と、優勝に浮かれず、しっかりとオリンピックの予選について言及した。「この階級には、インド、キルギスと強い選手が残っているが、アジア予選では必ず優勝したい」。
黎(れい)という名前は、「新しい時代を切り開いていけるように」と、黎明の「黎」から取ったそうだ。自分の力で日本軽量級の新時代を切り開いた樋口が、この勢いでリオオリンピックの権利を獲得できるか―。