※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫) 優勝を決め、セコンドの湯元健一・日体大コーチに抱きついた前田翔吾(クリナップ)。右はクリナップの今村浩之監督。
試合直後はセコンドについてくれた湯元健一・日体大コーチと涙の抱擁。前田は「夢じゃないですよね…」と、万感の思いで首にかけられた金メダルを見つめた。
クリナップ所属の前田だが、セコンドには今村浩之監督とともに2012年ロンドン・オリンピック代表の湯元健一コーチの姿があった。前田と湯元は60kg級時代、し烈なライバル関係にあり、ロンドン・オリンピック選考会ではプレーオフまで闘った間柄。当時は同門なのに、練習もしなければ、言葉もほとんど交わさない関係だった。
「4年前の悔しさを忘れたくなかった。湯元コーチが目に入れば、悔しさを思い出して、粘れるかなと思った」と、湯元コーチにセコンドを打診し、4年前、オリンピックをあと一歩で逃した轍(てつ)は踏むまいという気持ちで臨んだ。
前田の初優勝は60kg級で闘っていた2008年。大学4年生となった翌2009年は世界選手権(デンマーク)に初出場して5位入賞。国内外で着実に実力をつけ、2012年ロンドン・オリンピックの最有力候補と言われた。
■60kg級王者のプライドが邪魔をしていた!
だが、同年秋に部員の不祥事が発覚し、全部員が活動停止へ。このブランクは大きく、ロンドン・オリンピックの選考会で後れをとることになってしまった。2013年に世界選手権(ハンガリー)代表に復帰したが、その舞台で大けがを負い、10ヶ月ほど戦線離脱。復帰後には、階級区分変更によって60kg級が廃止されてしまい、新しくできた61kg級は非オリンピック階級へ。 決勝で闘う前田(青)
不運のヒーローのような過去を一蹴したのは、自分自身だった。決勝の第1ピリオド、前田は「投げ技とかするタイプじゃないのに、たまたま出た」という投げ技が狙い撃ちしたかのように決まり、藤波から4点を先制した。
3年8か月前のロンドン・オリンピック代表をかけた湯元とのプレーオフでも、前田は一本背負いから崩す“奇襲攻撃”でポイントを挙げている。それがフラッシュバックするかのような鮮やかな攻撃だった。その後4-4と追いつかれるも、終盤にダメ押しの2点で藤波を突き放した。
「けがからの復活優勝というより、弱い自分から脱却できた。いつの間にか年齢も重ねていた。過去にはチャンピオンだった自分がいて、65kg級なのに(60kg級の)プライドが邪魔をしていた」。
「自分はチャンピオンじゃない。65kg級になってから1度も決勝に進んだことがなかったので、挑戦者の気持ちで最後まであきらめずにできた」。この言葉通りに、平常心でマットに上がって全力を出し切れた結果が涙の復活優勝だった。
「今日の気持ちでアジア予選に臨めば勝ち抜けるか?」という質問に、前田は力強くうなずいた。