2015.10.20

【押立杯関西少年少女選手権・特集】飛躍を目指す「サンボ+レスリング」の秘蔵っ子…五木田琉(GOKITA GYM)

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

 「五木田勝」と言えば、1990年代後半から2000年代前半の総合格闘技ファンで知らない人はいない有名格闘家。総合の隆盛とともに脚光を浴びたロシアの格闘技サンボの元全日本王者であり第一人者で、その後、修斗へ参戦した木口道場育ちの選手だ。

 夫人は1991年に東京で行われたレスリングの世界女子選手権51kg級で銅メダルを取った陽子さん(旧姓東)。現在、日の出の勢いの川井梨紗子選手の母・初江さん(旧姓小滝)のチームメートだ。

 2人の間に生まれ、自分のジムで指導してきた長男・琉(GOKITA GYM)が押立杯関西少年少女選手権の5・6年36kg級へ関東から乗り込んで出場。3試合を勝ち抜いて3位に入賞した。ハイレベルの大会の銅メダルだけに喜んでもよさそうだが、「悔しい。タックルでポイントを取り切れず、そこから返されてしまった」と反省し、満足度は低そう。

 3年生からレスリングを始めた。極真空手と並行してやっており、レスリングだけに専念していたわけではない。そのせいもあって全国王者になることなく卒業となるが、「レスリングの方がやっていて楽しい。中学ではレスリングに専念します」と、進む道を定めた。

 「3年間のうちに全国チャンピオンになりたい。将来はオリンピックで金メダルを取りたい」ときっぱり。レスリングを始めてから1年くらいした時に「オリンピックで金メダル」という目標が見えて来たそうで、その夢をめざす。

 母がレスリングで世界3位になっていることは、かなりの年齢になるまで知らなかったという。レスリングに専念することを決めた今、「それを超えたいですね」と話す。

■中学3年生の時に全国王者になれればいい…父・五木田勝さん

 父・勝さんは「3位は仕方ない。レスリングに集中するこれからが勝負です」と言う。チームの方針は「楽しみながらレスリングをやる」。全員で全国王者を目指していたわけではなく、レスリングの楽しさを教えることを主眼に置いてきた。空手もかなりの成績を残していたし、レスリングの全国王者になることはなくても焦りのような気持ちはなかった。

 その中から、自分の長男が飛び出して上を目指す気持ちになり、今後は今以上のレベルの指導が必要になってくる。サンボ~総合の選手だった五木田さんだが、木口道場ではレスリングにも親しみ、全日本社会人選手権やコンバットレスリングに出場。総合の闘いに取り入れるため専大や拓大のレスリング部に通って練習も積んでいた。

 中学生選手相手なら、十分に指導できる。「1年生で、とは思っていませんが、3年生の時に全国王者になれるよう育ててみたい。けがをしないことが大事です」と希望する。

 母・陽子さんは「3位は残念でしたが、一生懸命にやっていたのでいいです」と言う。小学校での全国王者はなかったが、「今の時代、キャリア3年で全国王者は厳しいでしょう。健康であればいい、としてレスリングをやらせたのであって、無理にやらせたわけではありませんから」と、ここまでを振り返った。

 川井初江さんのみならず、成國晶子さん(旧姓飯島)、山下和代さん(旧姓麻生)と、同僚の子が各世代で台頭している。「刺激にはなりますけど、ライバル意識みたいなものは何もありません。ウチはウチで、できるところまでやっていけばいいです」と笑う。

 陽子さん自身は、吹田市民教室の出身選手。同教室の西脇義隆会長にお世話になっており、この夏は吹田で練習。この大会の前日も練習させてもらった。同会長も「よくやった」と銅メダル獲得を祝福。“孫弟子”の今後の活躍を期待した。