※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=増渕由気子) 地元国体で優勝し、最高の形で選手生活にピリオドを打った湯元進一(和歌山・自衛隊)
有言実行の和歌山国体出場だった。ロンドン・オリンピックで銅メダルを獲得し、和歌山にがい旋した時、「3年後の和歌山国体に出る」と宣言。今回マットに上がったことで、県民との約束を果たした格好だ。
■最高の攻撃ができたことで、選手生活に未練なし
オリンピック後の3年間は、湯元が予想していた以上に厳しい現実が待ち受けていた。昨年の全日本選手権、今年の全日本選抜選手権と、ともに世界選手権代表の高橋侑希(山梨学院)に敗れ、若手の突き上げを知った。得意だった国際大会でも優勝を逃し、6月の全日本選抜選手権で世界選手権の代表からももれたあと、去就について言及していた。 セコンド席から見守った兄・健一さん(左)と父・鉄矢さん
ラスベガスの世界選手権が終わってチャンスが生まれ、この2週間の間にリオデジャネイロを目指すかどうか、気持ちが揺れた一面もあった。だが、今大会で気持ちが完全に固まったそうだ。
気持ちにとどめを刺したのが、決勝の終盤に決めた攻撃。全盛期を思い出すような切れのあるタックルからバックを奪ってローリングを決め、4点を奪って一気に有元を突き放した。「この攻撃ができてすっきりした。『もう、OK! 終わり』って。故郷で優勝して終われてよかった」。
■決勝のセコンドには父・鉄矢さんと兄・健一さん
決勝のセコンドは、急きょ、父・鉄矢さんと双子の兄・健一さんが就いた。「最初はセコンドを頼もうかなと思っていたけど、恥ずかしくてやめたんです。けれども、最後だって言わなくてもお互いにわかっていた。自然と2人が就いてくれた」。 最後の大会を優勝で飾った
現役生活で一番心に残る試合は、2010年全日本選手権の決勝。2008年北京オリンピック銀メダルの松永共広(現日本協会専任コーチ)を下して世代交代を印象付ける優勝を果たしたことだ。松永氏の背中を追いかけ、追い越してつかんだオリンピックのメダル。「次は、自分が松永さんのような存在になる。日本のレスリングのために体を張って貢献したい」と、リオデジャネイロ・オリンピックに向けて、若手たちにいくらでも胸を貸すつもりだ。
9歳で始めたレスリング。21年間の選手生活を最高の形で締めくくれた湯元の和歌山国体だった。