男子フリースタイル | 57kg | 61kg | 65kg | 70kg | 74kg | 86kg | 97kg | 125kg |
男子グレコローマン | 59kg | 66kg | 71kg | 75kg | 80kg | 85kg | 98kg | 130kg |
女 子 | 48kg | 53kg | 55kg | 58kg | 60kg | 63kg | 69kg | 75kg |
※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
男子フリースタイル | 57kg | 61kg | 65kg | 70kg | 74kg | 86kg | 97kg | 125kg |
男子グレコローマン | 59kg | 66kg | 71kg | 75kg | 80kg | 85kg | 98kg | 130kg |
女 子 | 48kg | 53kg | 55kg | 58kg | 60kg | 63kg | 69kg | 75kg |
《飯島千晶・略歴》 / 《飯島千晶・国際大会成績》 / 《女子75kg級展望》
《オリンピック&世界選手権・歴代優勝選手と日本選手成績=女子》
(文=樋口郁夫) 飯島千晶(警視庁)
だが飯島は、「チャンスをいただいた以上、全力で闘います。自分の力を出し切って、メダルを取れるように頑張ります」と気合を入れている。
■2010年アジア選手権では日本女子の伝統を守る活躍!
“代役出場”とはいえ、日本代表として十分な実績を持っている。国内では全日本学生選手権や全日本社会人選手権で優勝のほか、全日本レベルの大会ではコンスタントに2位、3位へ。国際大会では、2007年アジア・カデット選手権優勝に始まり、アジア・ジュニア選手権優勝、世界ジュニア選手権3位、アジア選手権優勝、ゴールデンGP決勝大会3位など。
特に、シニアで初の本格的な国際大会となった2010年アジア選手権(インド)では、女子で唯一の優勝という健闘。アジア選手権の女子で史上初となる「金メダル0」の屈辱を救っている(注=現在までに金メダル0の年は1度もない)。
ただし、それらの実績は67kg級での成績。75kg級へ上げてからの2大会、今年1月のヤリギン国際大会(ロシア)とモンゴル・オープンは、ともに初戦敗退に終わっている。「不安はあります」という言葉は、まぎれもない本心だろう。「体の大きさが全然違いますね」と言う。筋力アップトレーニングの成果が出るには、時間がなさすぎる。
だが、何の対策も練らずに挑むつもりはない。“75kg級で2大会しか経験していない”ではなく、“2大会も経験できた”ことは貴重な体験。「組んで勝負はできない。動いて勝負したい」と、スピード重視の闘うパターンを描いている。
2位に終わった全日本選抜選手権だが、運命の糸は世界選手権につながっていた
飯島は神奈川・東海ジュニアクラブで6年間、レスリングをやっており、全国少年少女選手権は最終学年(2002年)に2位という選手。東京・安部学院高時代は全国高校生女子選手権で優勝を経験し、JOCエリートアカデミーに在籍した選手を除くと同高OGから初の世界選手権出場になる。
しかし、中学時代はレスリングから離れ、バドミントンを「楽しんでやっていた」という選手。東海ジュニア教室には中学生の部がなく、中学でもレスリング部がなかったからだ。
だが、レスリングへの思いが残っていたのか、2年生の最後(2005年3月末)にあったジャパンクイーンズカップ(スクールガールの部)で、約2年ぶりレスリングの大会に出場したところ優勝。
本人は「出場選手数が少なかったからですよ」と謙そんするが、安部学院高の成富利弘監督によると、重量級の人材発掘を目指していた女子強化委員会の木名瀬重夫・日本協会専任コーチの目にとまるほどセンスのいいレスリングをしていたとのこと。同コーチが成富監督に紹介し、再びレスリングの道を歩むことになった。
キッズ・レスリングの経験があるとはいえ、中学3年間マットから離れていては、かなり厳しい壁があったと思われる。だが、エリート選手で固められているチームではないだけに、ちょうどいい形で回転していったことが予想される。同高は日大ともよく合同練習していたので、「自然に、大学へ行ってもレスリングを続ける、という気持ちになっていきました」と言う。
■世界ジュニア選手権で3位だった屈辱を晴らす!
父は神奈川県警の警察官。日大卒業にあたっては、警察官へのあこがれもあり、警視庁という“ニンジン”にひかれてレスリング活動を継続することにした。その理由だけではなく、「世界ジュニア選手権で優勝できず、シニアの世界選手権で優勝したい、という気持ちもありました」と言うから、負けん気は強そう。
「我(が)は強いですよ」とは、成富監督の飯島評。「中学でレスリングをやっていないところから、世界選手権に出るまでに成長してくれたのは、うれしい限りです。このあと、飯島を目標に頑張ってくれる選手も育っていくと思います」と続け、生粋の同高出身選手初の世界選手権出場への期待を話す。
階級を上げてすぐの段階で世界3位、あるいは5位に入るのは厳しい、と思うのが普通かもしれない。しかし、シニアになって初のアジア選手権で中国やモンゴルを破って優勝することを、だれが予想しただろうか。それをやってのけた飯島だけに、ラスベガスのマットでは大番狂わせを期待したい。
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