※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子) 初の全国タイトル獲得の下山田培(日体大)
太田は59kg級を主戦場としている選手だが、下山田も今季から階級を66kg級に上げたばかりで、同階級同士のような決勝だった。もちろん実力は太田が格上。下山田は「練習でもボコボコにされているので、少しでもポイントを取れれば」という気持ちだったという。
試合の主導権は太田が握っていたが、下山田も毎日練習している利点を生かして、太田の動きを先読みし、ディフェンスに徹した。特に気をつけたのが、がぶりだ。「太田先輩は、決勝前の試合もがぶりからの攻撃で決めていた。ふだんの練習でも、がぶりを完ぺきに決められると逃げられない」と、がぶられてもポジションをうまくずらし、太田の技が完ぺきにかからないように心掛けた。
これが功を奏した。太田が強引にがぶりからの技を仕掛けても、つぶして逆に抑えて得点。すきを見てスタンドからの投げ技を決め、次々と得点を重ねて12-2で下した。下山田は「世界を舞台に闘っている選手に勝てて、嬉しい」と、殊勲の白星を素直に喜んだ。
だが、「松本(慎吾)監督から『自分の形ができていない』と指摘され、あまり褒められませんでした」とバツが悪そうに話し始めた。準決勝の魚住彰吾(専修大)や準々決勝の河名真寿斗(専修大)は思った以上に接戦で、内容も悪かったからだ。階級も上げたばかりで、同級では体も小さく、真の66kg級になるには、もう少し時間がかかりそうだ。 太田忍の巻き投げを防ぐ下山田(青)
下山田は柔道をバックボーンに、茨城の霞ヶ浦アンジュクラブでレスリングを始めた。そのまま高校レスリング界の雄・霞ヶ浦高(茨城)に進むも、個人の成績は関東大会優勝が最高。全国タイトルには縁がなかった。気がつけば、1つ年下の樋口黎(現日体大)にレギュラーの座を奪われ、レスリングに挫折した過去がある。
「樋口が関東大会のフリースタイルで、僕がグレコローマンに出場したことがあり、そこがグレコを始めたきっかけです」。
フリースタイルで後輩にレギュラーを奪われる悔しさを味わったが、逆にグレコローマンに楽しさを見出した。「クロスボディが得意で全国高校生グレコローマン選手権で3位にもなれた」。これがきっかけとなり、グレコローマンを専門にすると決めて日体大に進学。昨年の全日本選抜選手権では59kg級で3位と表彰台も経験するほど成長を遂げた。
「この優勝は樋口のお陰かも」とポツリ。霞ヶ浦時代にライバルとして切磋琢磨した後輩に感謝の言葉を吐露した。
グレコローマンが終わり、翌日からはフリースタイルが始まるが、下山田はエントリーしていない。だが、下山田には重要なミッションが与えられている。「僕は学連の仕事もしていて、明日からは審判に入ります。国際審判員…、僕も憧れます」と、将来は審判としての活躍にも興味を示しているようだ。
次の目標は10月の全日本大学グレコローマン選手権。「勝って大学二冠王者を目指したい」。雑草からチャンピオンに駆け上がる―。日体大からまたもニューヒーローが誕生した今年のインカレ・グレコローマンだった。