※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・練習撮影=保高幸子)
田野倉翔太(クリナップ)
2013年に55kg級の代表で世界選手権に出場した田野倉翔太(クリナップ)も、その一人。階級区分が変わったことと、けがで今年の冬は海外遠征も全日本合宿も参加していなかったことで、「引退説まで流れたみたいですね(笑)」と笑うが、「ダークホースとしていきますよ。この大会は絶対にやってやろうと思っています。ラスベガス(世界選手権)で必ずメダルを獲って、リオデジャネイロでは必ず金メダルを獲ります!」と揺るぎない自信の笑顔。一度転落したからこそ持てた強さが感じられる。
■55kg級のオリンピック街道を独走する予定だったが…
田野倉は2012年12月、オリンピック後で長谷川が不在だった全日本選手権55kg級で初優勝。翌年の冬の遠征でハンガリー・グランプリ優勝やアジア選手権2位の成績を残し、この階級の第一人者の地位を確立した。 2013年6月、オリンピック代表を破ってこの階級の第一人者の地位を確立(撮影=矢吹建夫)
ところが全日本選手権の4日前、国際レスリング連盟(FILA=現UWW)によって新しい階級区分が発表され、55kg級は廃止。同スタイルの最軽量級は59kg級となり、55kg級と60kg級で闘っていたほとんどのトップ選手が59kg級に集中する形となった。
階級変更がなければオリンピック街道まっしぐらか、というほどの勢いを見せていた田野倉だったが、59kg級となって初めての国内大会となった2014年6月の全日本選抜選手権では決勝で長谷川に敗れて2位。全日本王者の特権で前年60kg級全日本王者の倉本とのプレーオフ進出決定戦に臨んだが、勝って長谷川とのプレーオフに駒を進めたのは倉本で、田野倉は3番手に落ちてしまった。
■約5か月間、マット練習ができなかったが、筋力アップに成功 昨年の大会で、決勝のすぐ後に行われたプレーオフ進出決定戦。体力が続かなかった=撮影・矢吹建夫
負のスパイラルにのみ込まれたかのように、さらに試練が待ち受けていた。文田に敗れたことで奮起し練習に打ち込んだものの、オーバーワークに陥り、11月、練習中に腰に異変が起きた。「腰椎椎間板変性」との診断を受け、けがを治すことに専念。翌月の全日本選手権には無理をおして出場し、文田にはリベンジしたものの、3回戦で悪化して3位決定戦を棄権。「2014年は何もできずに終わった」のみならず、約5ヶ月間はマット練習ができなかった。
「3番手」となり、けがを負い、精神的にも辛かった。アジア大会で2連覇を成し遂げた長谷川や、世界選手権で闘う倉本、ハンガリー・グランプリで優勝した太田の活躍などの情報が入り、「なんでオレはここにいるんだ…と、辛かったです」と振り返る。
しかし、ただ時間が流れたわけではない。「皆が減量や試合を重ねている間に、自分はできることをやろう。勝つべき試合に備えよう」と切り替えた。この時期をチャンスと考えて体づくりをした結果、通常体重は6kg増えて64kgまでになった。パワーがつき、59kg級でも相手にプレッシャーをかけることができる体重になったという。
逆転日本代表を目指して練習する田野倉(右)
出場者で一番身長が低いが「それを最大限に生かして闘えばいい」と田野倉。心にいつもあるのは、お世話になった人からよく言われていた「3倍の練習をしろ、挑戦者の気持ちを忘れるな」という言葉。3月からは本格的なマット練習を再開。最初は自分の動きも忘れていて戸惑ったが、今は「8割まで戻った」と言う。
リオデジャネイロ・オリンピックに出場するためには、まず今年の世界選手権代表の座を勝ち取ることが近道。それには全日本選抜選手権で優勝し、プレーオフで全日本王者の倉本に勝つことが代表の条件だ。
最短で決勝の30分ほど後に行われるプレーオフに備え、課題の克服にも努めてきた。「去年のプレーオフ進出決定戦では(試合間隔が短くて)攻めることができず、耐えるのが精いっぱいだった。でも、今度のプレーオフは勝つ準備ができています。きついところでも取りに行けるよう、体力を強化する練習もしてきました」と、万全の構えだ。
勝つべき試合に勝って、ここから本当の「59kg級・田野倉翔太」が始まることを証明できるか。昨年の苦い経験をバネにし、全ての経験を武器に変えて全日本選抜選手権にかける。