※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、写真提供=在スーダン日本国大使館) スーダンでの砂川航祐さんと教え子
最初の滞在時、レスリング道場は屋外の砂場だったなど、環境が整わない中での指導だった。その中で、スーダンの伝統競技ヌバ・レスリングの経験をもつメンバーにオリンピック・レスリングの基礎を教えた。砂川コーチは「指導方法は手探りだったが、ある程度の形には持っていけた」と自信を持ち、「2月に来るまでに自分たちで復習して、再び私が来た時に上達した姿を見せてください」と伝えて帰国した。
2度目の出国の時は、「この2ヶ月間でレスリングの技術をどの程度吸収してくれているか楽しみな部分があります」と話し、スーダンへ向かった。11月の指導の定着度を期待していたが、予想を裏切る結果が待ち受けていた。
砂川が帰国した直後、スーダンのレスリング協会の組織が大幅に変更したことで、2ヶ月の間、1度もレスリングの練習は行われていなかった。2月の強化メンバーは、5人以外は新しい選手になっていた。単純に11月の続きを指導するつもりで行った砂川コーチにとって、とんだアクシデントの始まりだった。
強化メンバーが変わった理由は、選手の経済状況が主な理由だった。「練習に通うバス代がない、と言われた」と、国を挙げて2020年の東京オリンピックを目指すための事業なのに、選手への経済援助が十分でなかった。
スーダンで指導する砂川コーチ(AFPニュース=You tube) |
■2度目の渡航も…またゼロからのスタート
選手の環境を整える協会が内紛を起こし、選手たちの統括もままならない中、砂川コーチの指導が始まった。「練習所は専用の体育館を使えるようになった」と練習環境は向上したものの、練習に来るメンバーは日々異なった。「同じメンバーが毎日継続的に来ないので、同じこと教える状況になってしまった」。その指導を見たスーダンのレスリング協会から「毎日、なぜ同じ練習をやるのか」と指摘が入ったが、砂川コーチは「固定メンバーが来ていないのでやむを得なかった」と説明したと言う。
2月の練習内容は以下の通りだ。午後5時から練習を開始し、ウォーミングアップを20分程度。その後、構えの練習、サイドステップと進めていくが、前日の復習をするものの、全員ができないので、それを修正することに時間を割いた。練習時間は計2時間半~3時間程度で週5日。
「結局、技術練習で終わってしまうことが多かった」と、指導は一歩一歩進めた。砂川のタイムスケジュールは、午前中に柏日体l高校から持ってきた仕事をこなし、昼食後にその日の指導計画書をまとめて、夕方から選手たちを指導するという日々だった。
■キッズあがりの砂川コーチが舌を巻く身体能力
オリンピック・レスリングは素人でも、1000年以上の歴史がある伝統競技のヌバ・レスリングでならした強化選手たち。彼らの身体能力などのポテンシャルは、キッズ・レスリングあがりで学生王者の経歴がある砂川コーチも目を丸くする。
「スタミナはありませんが、身体能力が素晴らしい。みんなナチュラルでいい体をしてしました。バネが尋常でなく、ハイクラッチやくぐりのタックルなどの瞬発力系の動きは、教えたことをどんどん吸収して、びっくりするほどでした」。
ただ、スタミナがないためスパーリングは3分が限界だった。「後半はバテバテになってしまうんです」。ヌバ・レスリングは日本の相撲と同じように体の一部が地面に着くことを競う競技のため、短時間決戦が基本。オリンピック・レスリングはグラウンドでも攻防が続き、時間は最大6分間。スーダンの選手がスタミナを積み、6分間闘うためには、もう少し時間がかかりそうだ。
身体能力抜群の彼らに、砂川は手本にしてもらいたい選手がいた。2012年ロンドン・オリンピック金メダリストの米満達弘さん(自衛隊)だ。「ロンドン・オリンピック決勝での3点タックルを見せてあげたかったんですが…。ホテルのインターネット環境が悪くてダウンロードができなかったのです。11月は何の問題もなくインターネットが使えたので、現地で準備しようと思っていたら…。今回の指導プログラムで一番の失敗です」と悔しそうに話した。
■4月からは高校レスリング指導者を本格的スタート
多民族国家のため、内紛が続くスーダンにとって、日本へのコーチ派遣要請は、オリンピック・レスリングを通して国が一つになり、国際平和につながるプロジェクトの一環だった。遠い日本から肌の色も違うコーチが計2ヶ月に渡って指導をしたことをきっかけに、上記プロジェクトの成功を祈るばかり。
一方、砂川コーチも今回の派遣は非常に意味のあるものとなった。4月からは高校教師としてクラスを持ち、新しくできたレスリング部のコーチとして指導を開始する。
「今回の体験は、もう2度とない貴重な経験だと思います。スーダンに行ってよかったことは、言葉が通じない状況でレスリングを教える経験ができたことです。体でいかに的確に、簡単に、最高のポイントを教えることができるかを考えて指導に取り組んできました。(選手が)できると思って指導してはダメです。これくらいなら分かるだろう、と思っていたら、スーダンの選手たちは違うことを始めた。これは、高校生相手でも起こりうるな、と気が付きました。『わかるだろう』ではなく、『分かるまで丁寧に教える、伝える』をしないといけないです」。
指導者としての根幹をスーダンで学んだ砂川コーチ。派遣を拝命されたときは、未知の世界のため正直戸惑いの方が大きかったが、どこの国でも住めば都。「ハルツームは治安も良かったし、食べ物も外国人向けのレストランもあり大丈夫でした。思ったより生活楽しかったです」と笑顔が飛び出した。
スーダンでの指導プログラムが終了し、帰国の時に「また来てくれよ」と多くの人から再渡航を依頼されたようだ。「冗談半分でもうれしかったですね。強化メンバーの十数人うち、3人は世界で通用する素質がありました。ぜひ、スーダンの協会がサポートして、オリンピックを目指してほしいですね」。
2020年、彼らと砂川コーチが東京の地で再会する夢はかなうだろうか。
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