※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫) 創部3年目を迎える八海高チーム。右から2人目が関川博紀監督、後方のスーツ姿が巻口実校長
結果は全員が初戦敗退(1人は不戦敗)。66kg級で県大会優勝を果たした大平拓海は、一時10-2とリードしながら、詰めの甘さから最後はフォール負け。悔し涙にくれた。悔しさは飛躍へつながるエネルギー。インターハイでのリベンジが期待される。
同校の関川博紀監督は「キッズ・レスリング全盛期に、高校から始めた選手をどう育てるか試行錯誤できましたが…。私の指導力が不足していたと思う部分と、簡単には全国では勝てないという現実を知った両方です」と残念そう。大平の逆転負けのみならず、全体的に後半ばており、「体力づくりからやり直さないとなりません」と話した。
■高体連レスリング専門部の部長が部を創設
同校にレスリング部が誕生したのは、2012年の新潟インターハイの際、巻口実校長が高体連専門部の部長を引き受けたことに始まる。部長の在籍する高校にレスリング部がないのはおかしいと、翌春の正式就任に向け、新潟北高校教員だった関川監督を赴任させ、部員不足で休部となる同高レスリング部のマットを譲り受け、体制を整えてクラブをスタートさせた。 66kg級で無念の逆転負けを喫した県王者の大平拓海
新潟県は北東~南西にかけて細長く、海沿いと山側では気候も違うため、新潟市と魚沼市とでは文化や生活習慣が大きく異なる。新潟市は雪が30cmも積もれば「大雪」だが、魚沼地方は現在の暖冬の時代でも2メートル以上積もるのが普通。お互いが分からない方言も少なくない。
だが、「生活していけるかな」という不安以上に、「レスリングを受け入れてもらえるのかな」という不安が強かったという。同県でレスリング部のある高校は新潟市周辺に固まっており、中越地方には存在しない。近くの十日町市には女子レスリングの基地があるものの、桜花レスリングクラブができるまで地元で選手が育つ土壌はなかった。
■スタート時に必要なことは「楽しいレスリング」! 96kg級県王者の戸田俊也(赤)も前半は攻勢だったが、最後はテクニカルフォール負け
最近はプロレスと混同する人は少なくなったが、それでも、親が「危険だからダメ」というケースもあった。そのため、練習で一番気をつけたのは、けがをさせないこと。「怖いレスリング、では人は集まりません。楽しいレスリングと思ってもらえるよう心がけました」。
世界選手権にも出場した監督にとっては、もどかしい練習だったかもしれないが、「楽しいレスリングを続けさせると、次に『勝ちたい』という気持ちが出てくるんですね。それにはどうすればいいか。厳しい練習を求める。さらに、『自分達だけの練習では駄目だから、他校の選手と練習したい』と思う…。そうした段階がうまくふめたと思います」と振り返る。
富山県の滑川高校へ行った時には、今大会の学校対抗戦優勝校の京都八幡高が来ていて、全国トップレベルのレスリングにも接することができた。「ボコボコにやられましたけど、実力をはかる物差しができて、目標が見えてきました」。
選手のモチベーションが上がれば、1日3回練習も苦ではない。朝練習、昼休み練習、放課後練習が毎日の日課。全員が自宅からの通学で、電車通学の選手もいる。早朝に起きて通学することになるが、それでもついてきてくれるので頼もしい限りだ。 豪雪地帯で王国樹立を目指す関川博紀監督
■国際的俳優が育った魚沼地方、次は世界で通じるレスリング選手!
現在はレスリング場を使ってキッズ教室もオープン。将来の部員確保もスタートして長期的視野にたった強化も始めたが、「今年は、今の部員に結果を出させることに全力を尽くします。どういう結果になっても、高校で終わるのではなく、やり残したことを大学で取り組み、そこで結果を出してほしい。基礎を身につけるのに3年はかかる、本当に伸びるのは基礎ができたあと」と話す。
関川監督自身も、高校・大学と全国一になることはなかったが、大学を卒業してから全日本王者に輝いた大器晩成選手だ。本当に強くなるには、時間がかかることを知っている。
最高で2年のキャリアというチームから県チャンピオンを輩出しただけでもすごいことだが、「1人でも勝って、退職される巻口校長にプレゼントしたかったのですが…」と話す。巻口部長が“植えた芽”が卒業後に育てば、それも立派な恩返しだろう。
俳優の渡辺謙さんは、ここ魚沼地方の出身(八海高のある南魚沼市ではなく、その北にある魚沼市)。雪深い中から世界で活躍する俳優に育った。八海高校から世界で通用するレスラーが生まれる日がやってきても、何ら不思議ではない。