※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
3月4日に逝去された1963年世界選手権王者の堀内岩雄さん(享年73歳)の通夜が10日、東京・調布市で行われ、母校の日大レスリング部の関係者を中心に多くの人が故人の冥福をお祈りした。
日大OBでもある日本協会の福田富昭会長は、この日の午前、女子ワールドカップが行われていたロシアから帰国し、夜の通夜に参列した。同会長にとって堀内さんは同郷(富山県滑川市)の同期生であり、先輩だった。ともに1941年12月生まれで、中学時代は同学年だったが、福田会長は専門学校に2年間通ったあと、堀内さんの進んだ滑川高校へ進んで同じレスリング部に入ったので、3年生と1年生という先輩後輩の関係になった。
日大へ進学し、国体でも優勝して世界王者に輝いた堀内さんは憧れの“先輩”。「彼がいたから頑張れた」と言う。優子夫人は福田会長の中学時代の同級生で、福田会長が紹介し、結婚することになったという。
「つながりはだれよりも強かったと思う。先立たれるのは悲しいというか、寂しいというか…。何とも言えない気持ち。奥さんから電話をもらった時は、言葉が詰まってしまった」としんみり。闘病生活の最後は、別人のようになった姿を見られたくなかったのか、夫人からもお見舞いをやんわりと断られたそうで、「辛かったと思う」と話した。
1964年東京オリンピックでは1試合も負けなかったものの、当時のバッドマーク方式のルールによって銅メダルに終わった。そのあと、故郷の滑川市でパレードがあり、福田会長もオープンカーの隣に座り、一緒になって地元の人たちからの祝福を受けたそうだが、「金メダルを取れなかった悔しさがあった。その悔しさは、人生の最後まで残ったんじゃないかな」と言う。
酒をこよなく愛し、「その楽しみは十分に味わったと思う。その部分は満足だったと思う」と話した。
同じくロシアから帰国したばかりの日大・富山英明監督は「鉄人も病気には勝てなかった。闘病生活が長く、5年前の日大70周年パーティーの時には、もう来ることができない状態だった。よく頑張ったと思う。『お疲れ様』と伝えたい。堀内さんが監督の時に、私がコーチ。いろいろ指導していただいた。その精神を受け継いで現在、監督をやっているし、今後も生かしたい」と話した。